みんなが「無能な人」になれば。
webに意味のある文章を書き込める人というのは、それなりに知識があって筋道を立てて物事を考える能力にも恵まれているのでしょう。
なので、新しいことを考えることもできない、エクセルを使った簡単な事務作業すらこなせない「無能な人」を揶揄する言葉がwebにはあふれています。
「ググることすらできないのかよ。」「SUMIFとVLOOKUPも使えないのか」って。
大企業と呼ばれる規模の企業の本社にも、そんな「無能な人」がゴロゴロいます。
私も何度もそんな「無能な人」に怒り、揶揄したりしたこともありました。
でも、「無能な人」も最初からそうだったわけではなく、あるときに世の中のスピード、いえ、地方企業ののんびりした変化にすらついていけなくなり、やむなく脱落してしまったことも多いんだ、と最近気づきました。
私自身も年齢を重ね、昔はちゃんとしていた人々がポツリポツリと「脱落」して、毎日を諦めて「無能な人」の位置に座る場所を移していくを目にすることになっています。
良いのか悪いのか、伝統的な日本の大企業ではそんな「脱落してしまった人」でも解雇したり、露骨に閑職に追いやったりすることはありません。
若い人がたくさんは入ってこなくなり、若い人ほど辞めてしまう人が多いので、組織の平均年齢が少しづつ高くなっています。
今は、脱落してしまった人、無能な人がいることで組織がきしみ、毎日がギスギスしてしまっています。
やがて、みんなが諦めて脱落してしまい、みんなが無能な人になることで新しい平等と安心が達成されてしまうのかも。
そんなのでは組織自体が存続できないのでは?と思われることでしょう。
でも、規制で縛られているがゆえに、急激な経営破綻もありえないのも事実なのです。
みんなが「無能な人」になっても、生きていける。
外部からの規制と、惰性で守られているだけなのに。
そんなディストピアが出現してしまうのかも、と空想しております。