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子供時代に、すごい場所で遊んでいた。〜岡崎市康生通り西vol.11
その跡地は家から5分もしないやはり康生通りのど真ん中にありました。
広い跡地で、大きなコンクリートの塊があちこちにあり、太い鉄枠が横になったり、変な形になって転がっていました。
一つ一つのお部屋だったらしいあともあって、そこは特にコンクリートの壁が厚くなっているのです。
なんの建物だったと思いますか?
まず、町の真ん中にあるのは不思議です。
刑務所だったのです、刑務所の跡地だったのです。
まだきちんと片付けられていなくてあちこちに牢屋の面影がありました。
私たちはそこで遊んでいたのです。
その時には牢屋と言う意識はなく、不思議な場所でした。
今でもその光景がはっきりと目に浮かびます。そこでかくれんぼや鬼ごっこの他にも色んな遊びを考えました。
私は、思い切り釘を拾いました。
そこは、釘や鉄くずの宝庫でもあったので。
私の鉄くず拾いは結果、自分のお小遣いになりました。
鉄くず屋さんがやってきて、私の拾った釘や鉄くずを測って、何グラムでいくらと言うふうに払ってくれたのです。
大した金額じゃなくて2 、300円くらいだったのかもしれませんが、私は小学校3年生ぐらいから、鉄くずを集めて稼ぎました。
がばいばあちゃんにもありましたが、磁石を紐にくっつけて、そして紐を引っ張って歩き、釘と砂鉄を集めました。
・・・面白かった。
子供のエネルギーって本当にすごかったんだと思います。
友達と毎日遊ぶ。
釘は集める。何か落ちてないか探すし、そろばんも習字もエレクトーンも習いに行くし、
それに部活が陸上部だったので、そのクラブで遅くなることもありました。
子供会ではソフトボールをやっていたので土日の朝練もありました。
宿題も毎日あったし、予習復習ノートもありました。
いや、とにかく毎日大忙しの大変なスケジュールでした。
それに加えて、本がとにかく好きだったので、本もたくさん読みました。
本がなくなると、母が辞書があるでしょって言うので辞書も読んでました。
まだあります、よく町内を走ったのです。
なんで?
私がイライラしたり、むしゃくしゃすると、母が必ず「走ってらっしゃい!!」と命令するのです。
母の言うことは絶対だったので、よく町内を一周走り回っていました。
それで、頭を冷やせと言うか、気分を変えなさいと言うことなんでしょうね。
いやはや、忙しい小学生でした。