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町の映画館。〜岡崎市康生通り西二丁目vol.5〜
しつこく、岡崎市康生通りを毎回出しております。
もうすでに、ここにはない風景、私の脳内にあるだけの景色を、ここに綴っていきます。
もし、1960年代のあの地を踏みしめた方がいらしたら、ご一報ください。
延々と何処までも連なる商店街、店、店。
康生の交差点の角の備前屋さん、そこに並べられているお菓子も、その配置さえも目に浮かびます。
父が大好きだったあんまき。
よく買いに行かされました。
並びに中川くんちの鰻屋さんもありました。鰻を捌くところを見せてもらったりして。
ビクター犬がいるレコード屋さん。
子供にとっては、魅惑的なおもちゃ屋さん。
その通りまでは、家から、1、2分の距離でした。
道は、アスファルトで、夏の暑い時には、ところどころ溶けて、黒々、ギラギラ光っていました。
そこを踏んだりしたら、ふにゃという柔らかい感覚とともに、靴の裏側にアスファルトがべったり付いてしまいます。
気をつけていても、知らぬ間に運動靴の底を真っ黒にして、叱られました。
匂いもしたなぁ、アスファルトの。
独特な匂い。
それから、1分もしない場所に映画館がありました。
毎月、看板の絵とタイトルが変わり、それを見るのが面白かった。
看板に、ポスターを次々と上に貼っていくので、厚みができます。
見るたびに、これどうなっていくのだろう、と一時期寝ても覚めても思ってた時があります。
どこまで、飛び出すのか、と。
黒蜥蜴の美輪明宏とか(綺麗でした!)
女性に囲まれた竹脇無我(ハンサム!)とか長門勇がお医者さんに扮している看板が印象に残っています。
その映画館の前の砂でお山を作り、真ん中に棒を立てて、順番に砂を取り合う遊びをよくしました。
昔は、そんな遊びでも結構楽しかったものです。
いや、今でもやりたいなぁ。
うん、やりたい。
さて、映画館はまだあるのです。
テレビのない時代、映画館は娯楽施設として、あちこちにあったのでしょう。
やはり家から、5分くらいの康生通り南にもありました。
同級生の織田美佐江ちゃんちは靴屋さんで、その隣にも映画館がありました。
よく美佐江ちゃんとその映画館の暗い中で鬼ごっこをしました。
いや、かくれんぼ。
今考えると、自由だ〜
上映中に、こっそり走り回っているのだから。よく怒られなかったものです。
その中で、はっきり覚えているシーンがあります。
大きなスクリーンに、若い男がドラムをバンバン叩きながら歌っていました。
おいらはドラマー
ヤクザなドラマー
って。