大昔のロックファンはどうやって仲間を見つけたのか
SNSが早くも廃れようかというこの時代に、大昔の話を書いてみようと思う。スマフォもインターネットも無い時代の話。その当時、同好の仲間を見つけることは容易ではなかった。特に偏在の激しい洋楽ロックファンは辛い思いをしたものだった。そもそもバンドの情報が無い。国内盤が発売されるのはまだましな方で、それでも音楽誌に記事が載ることは滅多に無いようなバンドでは、好き同士が知り合う機会も無かったのだ。
雑誌
その当時の雑誌は同好の仲間を見つける重要なツールだった。雑誌の巻末には「ペンフレンド募集」のようなコーナーがあり、こういう趣味の人と繋がりたいです、とアピールしたり、そのアピールを見て手紙を書いたりしたものだ。何と住所氏名年齢まで個人情報を載せてたりするのだから、今から考えると大らかな時代であった。そうそう、この時代は手紙も重要なコミュニケーションツールだったのだ。
今ではメジャーな音楽雑誌となったロッキンオンは、昔は読者投稿と文通コーナーで成り立っていたようなものだ。後述するミニコミ誌の流通版といったところか。V系雑誌として知られたFool'sMateは、元々は大学内で発行されたファンクラブ会誌が元になっている。
ミニコミ誌
今なら自主制作本も立派なものばかりだが、この当時はそんなものはない。最低はコピー紙を閉じたものから、上級になると白黒オフセット印刷されたものまで様々なミニコミ誌があった。こうしたミニコミ誌は仲間内で制作されることが多く、そこからコミュニティーを形成するパターンもあった。
余談だが、当時のミニコミ誌の多くにはミュージシャンをキャラにしたマンガが載っていることが多かった。しかもBLネタが多かった気がする。
ライブ会場
これは来日してくれたバンドに限って有効な手段だが、ライブ会場で声掛けするのである。ナンパですな。自分は経験ないのだが、実際にそうして知り合った人と別のライブに行ったという人の話を聞いたので、決して無いことではなかった。
ファンクラブ
これが一番同好の仲間を見つけやすい手段だったと思う。ペンフレンドとは必ずしも多くの趣味が一致するはずもなく、遠方だったりすると何度かやり取りするうちに自然消滅したりした。しかしファンクラブは同じバンド好きのコアなファンが集まる。しかもそれ以外の趣味もある程度一致しやすい。
ただしファンクラブといっても、現在よくあるオフィシャル・ファンクラブを思い浮かべては困る。全くもって手作りのコミュニティーだったのだ。
大体始まりはあるバンドが好き過ぎて、同じ仲間と集まりたいと考えた人が私設ファンクラブを立ち上げることから始まる。ある程度会員が集まったら、そのバンドの国内配給を担当しているレーベルのバンド担当者に掛け合い公認を認定してもらう。するとレコードの帯(ってわかります?)にファンクラブの会員募集案内が載り、さらに全国規模でメンバー募集が出来るようになる。
めでたく公認ファンクラブになっても、実態は手作りのファンクラブのままであるから、良い意味ではアットホーム、悪い意味ではプロフェッショナルな運営ではない。熱心なスタッフの居るファンクラブだと、オフセット印刷の数十ページの会報を年3,4回発行するが、スタッフに熱意が無くなったり、バンド活動が停滞して情報がないバンドでは年一回の会報も出なかったりする。
レーベル側はファンクラブ運営に関与しないが、宣材写真を会報に提供してくれたり、16mmのライブフィルムを貸し出してくれたりする。YouTubeも無ければ、そもそもバンドのライブ映像が発売されていない時代では、この16mmフィルムのライブ映像は超貴重であった。その当時の洋楽ロックファンは、一部のメジャーなバンドを除いて自分の好きなバンドのライブ映像を見たことがない者がほとんどだったのだ。ファンクラブは16mmフィルムと会場を借りてフィルム上映会なるものを開催した。そこでまた新規の会員を募集するわけである。
レコードを通じて全国募集するといっても、メジャーなバンドでなければファンクラブの規模は大して大きくない。いって100~200名程度である。インターネットの無い時代で、国内音楽雑誌にも記事が載らないバンドはどうやって会報のネタを仕入れるかというと、自分の知ってるファンクラブでは海外音楽誌に載った記事を翻訳することが主だった。今思うと掲載許可を取ってないと思うが、そこも大らかな時代であったのだ。それでいうと、商魂逞しいファンクラブは、来日ライブ会場で隠し撮りした写真を販売したり、ライブビデオをダビング販売していた。完全にアウトな事案だが、それは特定のファンクラブのみだったと思う。
そうそう、ライブ映像を見たことがない者がほとんどなのに、なんでライブビデオがあるのかというと、当時はコアなレコード屋が西新宿や下北沢に集まっていたのだが、その西新宿にそういうビデオ屋があったのだ。いってみれば裏ビデオ屋ですな。個人的なコネを使い、海外のマニアから海外で放送されたライブ映像を取り寄せ、ダビングして販売していたのだ。むちゃくちゃ画像が悪く、値段もボッタクリ価格だったが、それでもライブ映像を見たいファンは我慢して買ったのだ。今はそれらの元映像がYouTubeで見られるから、良い時代になったものだ。
ファンクラブがある程度の規模があると、イベントを開催して会員同士の交流を持つことが出来た。お花見、飲み会、ボーリング大会は無論、コピーバンドのライブを主宰することもあった。都市毎にある程度の人数が居れば、大阪支部や名古屋支部や福岡支部などが出来たりもした。こうした出会いを通じてファン同士の交流が行われたのである。
スマフォの無い時代にどうやって待ち合わせしたか、みたいな昔語り話になってしまったが、時に昔を思うと現在の便利さを痛感するので悪いことではないかもしれない。