心中吐露と頻度
自分の心の内を話すことを、良しとすべきか否か。よく誰にも弱音を吐かずに頑張る人を褒め称える。それが美徳なのかどうなのか。自分の中では定まっていない。話したいことはいくらでもあるが、胸にとどめておきたいことはあまりない。自分の中に閉じ込めておくと、思っていることが何なのか。自分だけの世界に留めた気持ちは所在が不明だ。しかし、留めておくことは世の中での美徳の基準に当て嵌るのならば、何かしら良いところがあるということだと思うけど、それが自分の心をパンパンにしてしまうことを知っている。心中吐露の頻度はとてつもなく難しい問題なのだ。このことについて悩んでいる人は結構いるんじゃないかと思う。私だけじゃない。
しかし、みんなが悩んでいるからといって、みんながしてるように合わせればいいとは思わない。自分の基準が欲しい。誰かの愚痴を肴に酒を飲むのは、たとえ多少気分が良くてもしたくはない。一時的な快楽よりも優先したい自らの尊厳がある。多少、人から距離を置かれても、真面目だとからかわれても、守りたい胸の内がある。私は、自らの基準が欲しい。自分を守れて、それでいて大事にできるように。