【ネタバレ有り】ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3の感想と自分語り
※精神的に参ってる人、病んでる人は読まないほうがいいかもしれません。※
※本文で引用したセリフうろ覚えです。※
自分語り
私はずっと自殺願望があった。それは中学生の時から続いている。とにかく自分のことが嫌いで20歳になるまでに死のうと思っていたが、来年30歳になる。今はのうのうと生きているし、ゴロゴロしながらこの文章を書いている。
病名を数えたらキリがないほど生まれつき身体も精神も弱かった。22歳の頃、突然布団から起き上がることができなくなった。立ち上がると息切れし、トイレに行くのにも一苦労。家から徒歩5分の病院に歩いて行くことができず、遠くに住んでる父親に来てもらって車で運んでもらったこともあった。その頃から精神に効く薬を服用し始め、なんとか起きて行動することができるようになった。中学生の時、精神科医の先生が学校に来るというので診察を受けたが「このまま引きこもっていたら人生が終わるよ」と言われ何か解決するどころか、将来が不安になり気分が落ち込んだ。
そのあとは小学校高学年から専門学校を卒業するまでずっと不登校が続いた。私は恵まれた家庭に生まれ、恵まれた環境で育ったが、それを全て台無しにしたという自分の能力の無さと心の弱さを毎日感じていた。とにかく自分のことが嫌いになり、鏡を見る度に暴言を吐きたくなる。自分以外の何かに生まれたかったと何度も思った。なんで自分として生まれてしまったのかと何度も考えた。
これは、ミュージカル「RENT」の「Goodbye love」の歌詞だ。自分を愛することの大切さを説いている作品は数多くあるが、私はこの曲を聴く度にいちいち傷ついている。自分を愛せない人は他者を愛する資格がないみたいだ。
ネット上では自己否定が強い人は自己愛が強い人だとよく言われるが、私はその理論が受け入れられない。だって自分を愛せないから苦しんでいるんだもん。
映画の感想
私はアメコミ映画、特にMCUが大好きで、新作が上映される度に欠かさず観ている。今年の新作「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3」の個人的な感想を書く。
まず目についたキャラクターがオルゴコープ社の警備担当の部下と、アダムウォーロック、ドラックスだ。
主人公のピーターと警部担当のマスター・カージャは使えない部下(ドラックスと警備担当の部下)について話す。「あいつは物分かりが悪い」ドラックスと警備担当の部下は例え話や比喩を使ったジョークが通じない。今作で初登場したアダムウォーロックも話が通じないキャラクターだ。アダムの母であるアイーシャはラヴェジャーズの1人を捕らえ拷問し情報を吐かせようとするが、アダムはその間、壁を触っている。何かが気になるのだろう。アイーシャは「私たちが本気だってことをわからせてやりなさい」とアダムに命令する。アダムは本気を出して拷問していた相手を殺してしまう。殺してしまったらアイーシャ達は必要な情報が手に入らない。アダムは「本気」の意味がわからないのだ。
「もし部下が発達障害だったら」という本があるが、アダム、警備担当の部下、ドラックスは発達障害者の特徴を捉えている。
アイーシャ、ピーター、マスターは発達障害の部下を抱えた上司だろうか。
ピーターは「宇宙船で待て」とドラックスに命令するが、ドラックスはじっとしていられず、勝手に行動をしてしまう。まるで落ち着いていられない子どものようだ。
今回のヴィランであるハイ・エボリューショナリーは完璧な生物を作り出そうと動物実験を繰り返す。ガーディアンズのメンバーのロケットも被害者の1人だ。ロケットが捕らわれていた檻には、身体の一部を機械化されたカワウソ、セイウチ、ウサギがいた。私はその姿を見て息を呑んだ。カワウソは義手をつけているように、セイウチは車椅子に乗っているように見えたからだ。ハイ・エボリューショナリーの目的は完璧な生物と世界を作ること。完璧ではないロケットを含めた4人を殺害しようした。
ハイ・エボリューショナリーはヒトラーとやってることが同じだ。1930年代に行われた精神障害者や身体障害者に対する強制的な安楽死(T4作戦)で7万人以上が安楽死させられた。アダムとドラックス、警備担当の部下は見方によっては精神障害者のように見えるし、セイウチとカワウソは身体障害者のように見える。
ドラックスの勝手な行動によって、ドラックス、マンティス、ネビュラが危険な状況に追い込まれるが、なんとか危機を脱する。そしてネビュラはドラックスにキレる。「いつもお前の尻拭いを私がしてる。バカだから、知らなかったからで失敗は許されるのか」発達障害者を部下に持った上司のようなセリフだが、マンティスがドラックスを庇う。「能力があるということがそんなに偉いのか?少なくともドラックスは自分のことを愛している」
私は涙が止まらなくなった。自分のことを愛せないのは実力主義の価値観が自分の中にあると気づいたからだ。
「ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち」という本がある。税金を払っているかどうか、お金を稼げるかどうか、それが現代に生きる人間の価値基準で、そこから落ちた人は排除されやすい。脱落したら自己責任と言われ救ってもらえない。なので脱落しないためにお金になりやすい知識を短時間で学びたいという現代の価値観について書かれている。
お金を稼ぐ能力がない→生産性がない→社会の役に立たない→自己否定するという考え方が自分に染み付いている。気がつけば自分もファスト教養物ばかりに手を伸ばしていた。
2016年に相模原で障害者19人が殺害された。「意思疎通ができない障害者は社会にとって重荷になるので不要な存在だ」というのが犯行理由らしい。ある政治家は同性カップルを生産性がないと発言した。あるインフルエンサーは、生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしいと発言した。コロナ禍では、人工呼吸器は若者に優先的に使って欲しいという声があった。
能力がない人は排除されていく。私は自分を無能だとずっと思っていた。社会に不要な存在だとずっと思っていた。その思考は自分だけでなく周りを傷つける。能力がない自分を否定することは能力がない誰かを否定することと同じことだ。
だから自分のことを愛さなければならない。何もできなくても無条件で愛するべきだ。
「ドラックスは自分のことを愛している」というマンティスのセリフは、自己否定をしてしまう思考の危うさに気づかせてくれる。まるで私に向けられれた言葉のようだ。
そのシーンの後で、ドラックスは捕らわれている子ども達を楽しませたりコミュニケーションを取ることでみんなに能力を示す。
『「生きるに値しない命」とは誰のことか ナチスの安楽死思想の原典からの考察』という本では、動けないもの、言語でコミュニケーションが取れないものはその姿を見せることでメッセージを伝えている。生きて姿を見せるだけで役割があると書いてある。
自分もドラックスのように何か能力があるかもしれない。
終盤、ガーディアンズがハイ・エボリューショナリーを倒し、捕らえられた人達を救ってエンディングを迎える。知能があるかどうか、能力があるかないか、動物か人間かは関係ない。社会のはみ出し者であるガーディアンズ達が、誰1人置き去りにせず全員を救おうとする。愛に満ちた映画だった。
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