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炎の赤い睡蓮 追憶の「モネ展」から

 二月十一日、上野国立西洋美術館にて昨年の秋から開催されていた「モネ展」が盛況のうちに終了しました。次は三月七日より京都の京セラ美術館にて開催されますが、観光と相まって相当な人出が予想され、モネの人気は一向に衰えない様です。

 三十年ほど前になりますが、私が奈良在住の折に開催された企画展も予想を上回る大混雑でした。(この時は先の平成天皇・皇后が京都から奈良の橿原へ移動の最中に遭遇)

 一連の睡蓮の作品の前は大勢の人だかりでじっくり鑑賞ともゆかない中、不意に出現した疎な空間にそれは有りました。ただ一輪、背景のない白いカンバスに浮かぶ赤い睡蓮です。
 およそ会場の雰囲気にそぐわない一枚の気がかりな作品があった、というその記憶を、当時書き綴っていた作品に反映させていました。(一部抜粋の上改稿)

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 ……………………………………それは天に向かって燃え上がる赤い炎の様だった。
 風呂上がり、再び図録を開いて気になっていた作品のページを探してみた。
 そして作品紹介の最後のページにモネの最晩年の作品だという一輪の赤い睡蓮があった。
 長年、モネが描き続けた愛らしい睡蓮とは全く対照的で、色彩は単色に等しい強烈な赤……その花びらは燃え上がる炎の様に上方に伸びている。
 もっと異質なのは背景が描かれていない事だった。
 愛らしい睡蓮が浮かび、空や水辺を囲む水辺の景色が映り込むはずの水面が描かれていない。モネがこだわり描き続けた全てのモチーフがすっぽりと抜け落ち、ただ一輪の赤い睡蓮が白いカンバスに浮かんでいるのだった。

 解説には「モネが前衛的であった所以であろう」という専門家の意見を付している。赤い睡蓮の理解し難い描写・奇抜さを言っているのだろう。専門家の意見ゆえにその見方が正しいと思われる。けれども素人故に自分はどうしても作者の内面世界に踏み込んでしまうのだった。

 最晩年、白内障が進行したモネは失明寸前であったと言うが、描く対象を捉える力を失っているにも関わらずモネを制作に駆り立てたものは何だったのだろう。
 倫理の授業で余談好きな教科担任から「限界状況」という哲学者ヤスパースの基本概念を教わったことがある。
 人間が生きていく上で避けられない、深刻な問題に直面した時の極限状態を指すそうだが、赤い睡蓮は、抗うことのできない死の現実を前にした老齢のモネが描き出した「限界状況」ではなかったのか。

 赤い睡蓮の作品の成り立ちについては、専門家の言う様にモネが前衛的であった所以と見るか、自分が感じる命の叫びと見るか——
 出来れば、モネが前衛である所以——という解釈についてもう一歩踏み込んだ説明が欲しかった。何故そう思ったのか。それは晩年のモネが抱えていた白内障の問題に突き当たったからである。

 白内障は手術後の炎症によって緑内障を引き起こす事例があると言われる。
 不思議な赤い睡蓮の謎に迫れば、モネは白内障の手術後に緑内障を引き起こした可能性が考えられないだろうか。
 緑内障ではが見えやすくなり、さらに見分けやすい色彩として白色と赤色の組み合わせが取り上げられ、特に下地が白の場合、のせるられる色は赤のみに限られると言うのである。

 赤い睡蓮は、術後のモネ自身が認識した世界をカンバスの上に試みた作品と考えれば、専門家が指摘する前衛でも無ければ自分が思うところの限界状況でもないという事になる。

 白内障自体の症状は緑色が茶色に見えたり、対象となる色の面積によっては、ハッキリ緑や茶色と認識される事もあると言う。
 専門家に前衛的所以と言わしめた晩年の混沌としたタッチや色彩の濁りは、モネのいたましい病跡であると同時に、失明寸前に至るまで描く事をやめなかった芸術家の不屈な魂の表現なのである。

 *企画展や画集を通じてモネの作品に触れる多くの方に、晩年に至る作品の変遷を是非見届けてほしいと思います。また、上野の国立西洋美術館の常設展示場にはモネの作品の一部が収蔵されており、いつでもご覧になれます。

 *いつもお読みくださり有難うございます。モネについては作品にとどまらず、その人となりを私の作品・花あかりの小径(改訂中)から抜粋して、又お届け出来たらと思っています。







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