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人恋うは 哀しきものと平城山に

 JR大和路線の奈良駅を出て京都方面へと向かうひとつ目の駅に、平城山(ならやま)という駅があるのをご存知でしょうか。
 平城山と言えども山にあらずして、京都山城との県境に広がるなだらかな起伏の丘、平城山丘陵(ならやまきゅうりょう)が駅名の由来だと聞きました。

 平城京の北側を起点に平城山丘陵を南北に貫く古道があり、歌姫街道と呼ばれていますが、古より大和の国と京都山城を結ぶ主要道路として多くの人が行き交いしていたそうです。
 街道沿いに広がる左京の森は、今日宅地開発が進み昔の面影は薄れたものの、天皇陵を始め被葬者不明というウワナべ,コナベの二基の墳墓、仁徳天皇の后・磐之媛命(イワノヒメノミコト)を祀ったヒシアゲなど大小の古墳が点在し、今なお悠久の歴史を刻んでいます。

 と、ここまでよそ行きの顔をしてつらつら書いてきましたが…なんとこれら全てが私共転勤族一家の生活圏だったのです。思えばなんと厳かな環境だったことか。

 常緑の松に覆われた墳墓の周囲に水濠を巡らし、まるで緑の城塞の様に美しい真昼の景観が、一日の終わり、暮れゆく埋み火の空の下に黒いシルエットになって浮かび上がる様は、真昼のそれより神々しく思わず足を止めたものでした。

 その墳墓の一基が自転車通学をしていた息子の通学路沿いに在って、朝な夕なの日常の風景でしたが彼はどんな感慨を持って行き来していたのでしょうか。

 周辺をよく知る彼に平城山駅のことを尋ねるも「ならやまって奈良の山のこと?」   
 誰もがそう思ってしまう答えが返ってきました。
 近鉄が主な交通手段でしたから大和路線には縁がない。しかも次の駅は京都の木津ですから………。

 平城山は奈良を愛した歌人北見志保子が、道ならぬ恋の思いを胸に異郷の地にいる恋人を待ち侘びて彷徨い歩いた場所でした

                ☆

 奈良に移り住んで間もなくのこと——奈良在住の声楽家 雑賀美加さんのコンサートに誘われ、この時初めて北見志保子の短歌からなる歌曲・平城山を聴きました。

    人恋うは哀しきものと平城山にもとほり来つつ堪え難かりき
    いにしえも夫(つま)に恋つつ越えしとふ平城山の路に涙おとしぬ

  和歌
のような歌詞に哀愁に満ちた和の旋律、琴をつまびく様なピアノの伴奏法に魅せられながら、「平城山」って奈良の歌曲なんだ——とおかしな感激にに浸ったのを記憶しています。(正真正銘、古都奈良の歌曲なんですが)

 その時は一番の歌詞、二番の歌詞、と単純に思っていましたが、それぞれ独立したニ首の短歌である事を知り、その成り立ちの背景に歌人北見志保子の道ならぬ恋の存在を知ったのです。

 歌詞の説明は各人各様ですが、僭越ながらわたし流に……

 人を恋しく思う事はなんと哀しく(切ない)事だろうか(静寂に包まれた )平城山
 の丘をひとり彷徨い歩いていると耐え難い思いがつのってくる

 その昔、(仁徳天皇の皇后が)夫を恋しく思いながら越えたという平城山の路を
 (わたしも遠く離れた恋人を想い)涙しながら辿っている

 夫(つま)とは仁徳天皇のことで、北見志保子が皇后磐之媛命(イワノヒメノミコト)の陵墓を拝礼した際、聞いた説話を自分の境遇に重ね合わせて詠んだ歌と言うのですが、二番の歌詞に関してはこうした背景が多少なりとも説明されないと解釈が難しいかなと。
 前述した古墳のうちヒシアゲ古墳が仁徳天皇の后、磐之媛命の陵墓になります。

 では道ならぬ恋とは
 志保子は同郷の歌人である夫、橋田一門の大学生( なんと慶応ボーイ!)浜忠次郎と相思相愛の仲となり、困った浜の実家は彼をフランスへ留学させる事で関係を断ち切りました。人妻でしかも十二歳という歳の差ですから無理からぬ事。しかしふたりは契りを交わしていたのでしょうか、志保子は夫と離婚。忠次郎の帰国まで三年の年月を虚ろな心を抱えたまま過ごすこととなりますが、この時の思いを平城山の歌に込めたのでしょう。

 恋人は必ずわたしのもとに帰ってくる
 あの人は必ず僕を待っていてくれる

 固い契りの愛の相関図は十二歳と言う歳の差を乗り越えた確かなものでした。

 現在、平城宮跡の整備が進んでいますが、だだっ広い草地は“草枕“で寛いだり凧揚げをしたり、子供達にとって安全な遊び場でしたが、どの様に復元され変貌するのか楽しみです。
 またディズニーランドの先駆けだった奈良ドリームランドは、子供達の失望と共に潰えた夢の跡を晒していますが、何らかの再開発が進んでいるのでしょうか。

 周辺では某有名企業が自社名を冠して北へ北へと開発の手を伸ばしていますが、これもまた奈良にとって必要な事なのでしょう。

 掘れば必ず史跡が出てくるという市の中心部は開発の余地がないことは確かなのです。
 ただ、将来北に向かって進むしかない開発の波によって、豊かな平城山の自然が少しずつ切り取られてゆく様子を見るにつけ、できる事ならもう一度あの界隈を巡りたいと
思うのです。

☆写真はWikipedia・奈良市観光協会のページより拝借しました。

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