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     粋人と「水ぼたる」

「蛍を見に行こう」と誘われた。
 ずいぶん昔の梅雨入り前のことである。
 その友人は、私同様転勤族だった。家事の合間を見計らっては団地周辺に広がる里山を駆け巡り、一人自然を堪能していた。
 神出鬼没のスタイルはとても真似ができない。本人も思い立ったら即行動だから当然単独の探索になってしまう。

 多動性ナントかと言って揶揄する人がいたけれど、金融系の頻繁な移動は一般企業とはかなり異なる。何処へ行っても異邦人の様な環境の中で、彼女が見つけたひとり遊びの極意なのだろう。しかしさっぱりした人柄から、生来がきっと自立自由な人に違いないと思っていた。

 あちらこちら飛び歩き、その都度ああだった、こうだったと楽しい情報をもたらしてくれるのだが、初めての誘いであった。

——でも、まだ梅雨入り前で蛍の飛び交う時期ではない——
「今年は蛍の出現が早いの?」と尋ねると
「いいもの見せてあげるから」と、口角に銀歯を覗かせて笑い
「絶対長靴履いて来てよ」と強調する。
 一緒に誘われたもう一人の友人と首をかしげながらも行く約束をした。

 当日、日没後とは言えカラッと晴れた夜空の下、長靴を履いた三人のおばさん達は山際の野地を行進した。
 野地はやがて細い畦道に変わり、小さな田んぼが足下に広がっていた。
 ぬかるんだ畦道に足をとられながらなぜ長靴なのか合点がいった。

 それにしてもどうして田んぼなの?と尋ねようとしたら
「ほら、見て見て、そこそこ!」と、友人が田んぼの中を指差した。
 ん?——何かが光っている。初めて目にした田んぼの中の小さな発光体——それは源氏蛍の幼虫だった。

 しっかり観察しようと畦道から身を乗り出す様にして田んぼを覗き込む。
 視力が乏しいくせに眼鏡は嫌い、コンタクトなどもっての外と排除してきた私。世の中綺麗に見えて良いもんだよ——と言っては来たけれど困ることも度々あった。
 畦道にしゃがみ込み、ど近眼の目を凝らして覗き見た田んぼの中、蒼白い光は星の様な光彩を放っていた。
 一つ、二つ………六つと数え上げてから無意識に夜空を見上げた。

 思い出したのは深まる秋の旅行に出かけた折の事。渋滞でノロノロ運転のなか目にした信州安房峠の上空を覆っていた満天の星々。
 キリッとした夜気の中、およそ標高1,800メートル上空から仰ぐプラネタリウムの様なひしめく星空に、ひと際明るい光彩を放つ蒼い宝石のような星の塊を見つけた。
 六連星——昴(すばる)だ。

——あるはず無いなあ、昴は冬の星だもんね——
 仰いだ上空から田んぼの中に目を落とした。
 まるで田んぼの中の六連星みたいに光り輝く蛍の幼虫たち。

 友人は私の横にかがみ込み——江戸時代の粋人達はこのように水中で暮らす幼虫を「水ぼたる」と呼んで鑑賞していたらしい——と教えてくれた。

 友人は同じ転勤族のよしみからか、私たち家族を何かにつけて気遣ってくれた。
 子供達と話す時、自身のことを○○さんで無く○○小母と呼びなさいと言って憚らない。 呆れるほど雑然としているのに細やかな心遣いで包容力を見せてもくれた。

 居を構えた庭に白い侘助 (わびすけと言う椿の仲間)と山法師を植栽して、その庭を望む和室で客人に一服の茶を差し上げたいのだと語っていたが——はたして夢は実現した。
 お茶に招かれ抹茶を戴きながら
「この家は息子のために建てた様なもの」と語る。
 転勤の移動は子供が中学生になるまで六回を数えたと言うから我が家の比では無い。
 苦労話をしながら庭に目をやると侘助はとっくに花の時期を終えていたが、山法師は花盛りだった。


 今の季節、彼女は蛍の光を求めてあちこち巡っている事だろう。
 思うに、江戸の粋人たち——と言った彼女こそ現代の自由人であり、「粋人」ではないかと。

 やがて梅雨明けと共に、南東の空から吹き込んで来る白南風(しろはえ)が夏を告げる。
 麦わら帽子に首手ぬぐい、藍色の作務衣で闊歩する彼女の姿が目に浮かぶ。


         ☆いつもお読み頂き有難うございます。愛犬の介護で腰をかなり痛めてしまい、記事の更新が滞ってしまいました(いつもの事ながら?)。そこで過去記事から今の時期に合う内容を選んで再掲させて戴きました。(画像追加)




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