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奈良興福寺 阿修羅の光と影

  三十年ほど前のこと、正倉院展を見に来奈した義兄と一緒に興福寺を訪れた。
 どうしてもみたい仏像があると言う。
 それは国宝館に展示された大小の仏像に紛れ、見失いそうに小さな仏像だった。
 多くの人びとを魅了してやまない“阿修羅“である。



危ういほど華奢な体型に少年の様なうら若い面差しと、憂いを含んだ眉の下でじっと遠くを見つめる、もの思わしげな眼差し。髪を結いあげた上半身裸体の胸に胸飾り(ネックレス)とショールを斜めにあしらい、上腕の飾りとブレスレットを着けていた。
 闘いの鬼神はお洒落で、どちらかと言うと女性的にみえる。

 古代インドの神話では武勇の神、帝釈天を相手に戦い、闘争の鬼神とされたがそうなった逸話があるらしい。仏法が流布された後は仏法の守護神としてお釈迦さまを衛る神々、八部衆の一人となったと言われる。

 三面六臂(さんめんろっぴ)の立像は合掌している手の他に、四本の手と指が意味のある何かを形容しているのではないかと長い間思っていたが、記事を書くにあたって調べてみるとそうではなかった。

  手持ちの、ある古い事典にあった阿修羅の挿絵で気がついた事なのだが、天を支えるかの様に上向きに広げた手には宝玉?を乗せ、身体中央から伸びた腕は右手に矢を2本、束ねず指で絡める様に握っている。興福寺の阿修羅像の指の形を見ると容易に想像できる。画像の検索でも同じ様な姿形が出てきた。

 弓と矢は鬼神だった阿修羅の武器で、合掌の手と手のひらの宝玉?は仏法に帰依した証を示しているのでは——と勝手に解釈しているが真相はどうなのか。
 八部衆の他の仏像の手と指の形も同じよう推測される。

 それにしても他の八部衆が煌びやかな戦闘服を纏っている一方で阿修羅だけが女性的な出立ちなのは何故なのだろう。
阿修羅が多くの人を魅了するのはユニセックス的な雰囲気を醸し出す優美な姿形にあると言ってもいいかもしれない。

 義兄は長い間阿修羅と対峙していた。
 日頃激昂しやすい性分の彼は何を思っていたのだろう。呪縛された様に只々見つめ続け感想の一言も漏らさなかった。

 まだ“阿修羅“の人気がそれほどでも無かったあの日、私も義兄と一緒に肩を並べ天平文化の素晴らしい造形を心ゆくまで堪能したのだった。

               ☆              ☆             ☆

         興福寺と鹿
 東大寺付近、鹿せんべいを目当てにウロウロする鹿の姿が目につくが、ちゃんとした食事タイムが用意されている。

 “ベートーベンの田園“を奏でるホルンが鳴ると、処処から引き寄せられた鹿の群れが一軍をなし、蹄の音と砂埃を巻き上げながら興福寺五重の塔の北側を駆け抜けてゆく。  
 勿論広い奈良公園のこと、いくつかの移動コースがあると思うが地響きを伴って移動する様子は圧巻そのもの。唯一、奈良でしか見ることの出来ない光景だろう。五重の塔は何事も無く見送りながら何時もどっしりと佇んでいる。

 日中、鹿たちは樹の下陰に憩い、寒ければ飛火野の草地に遊ぶ。
 高円山に月が登れば、杜深く寝所を求めて睦みあう。
 思うに古都奈良の自然は古(いにしえ)の匠・芸術かなと……


  ☆写真はWikipediaより拝借しました。

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