プログラマな長い10年を振り返る
- 16歳:理系クラスに
- 17歳:ファッキンテスト勉強オタク.プログラミング始めた
- 18歳:大学入学.C言語はじめた
- 19歳:授業,バンド,ピアノ,バイトで死んでた
- 20歳:趣味プログラミング&英会話を少し始めた
- 21歳:研究&趣味プログラミング
- 22歳:研究.Labo3D作成.サンフランシスコ短期留学
- 23歳:サンフランシスコ長期,ベトナム短期留学
- 24歳:教授のおかげで国際学会2本通す
- 25歳:チームラボ就職.サーバサイド
- 26歳:NorthStar完成.UnityでCGマン
16歳(2009)
高校2年.理系のクラスに移り,国語がなくなって超ハッピーになった.授業の数学が信用できなかったので数学の研究をはじめ,海外ドラマの影響でTaskForceというSF妄想を始める.美術,数学が得意だった.
17歳(2010)
高校3年.付属高校だったので受験勉強せず,ゲームと海外ドラマ三昧.大学連携の授業でプログラミングを始めた.
茂木健一郎の本の影響でIQを上げたくなり,煮干しを食い始め,ピアノに通い始めた(ピアノはジャンヌダルクの影響もある).勉強法の本をあさりまくり,先人の知恵も得て,クラスで1番になったが,何の意味もないことに気が付く.
兄に影響され,留学しようと思ったが,ちょっとトラブり,せずに終わった(本当はここでした方がよかった).
18 - 19歳(2011-2012)
大学入学.C言語の基礎を勉強し,最終的にゲームを作った.後バイト,ピアノ(スクール),バンドで忙しかった.
大学2年.授業が死ぬほど忙しく(レポート地獄),バイト,ピアノ,バンドもあったのでヤバかった.Webページを自分でデザイン,作成できるようになった.
20歳(2013)
大学3年.2年で単位をほぼ取り終えたので,暇になった.留学したい欲が高まり,バンドをやめ,リスニングの勉強を始めたが,続かなかった.
分散システムの研究室に配属され,研究しつつ,プロコンをしたり,プログラミング言語を作ったり,Blenderを始めた.また学校のプログラムで外国人と話す機会が何度かあり,ほんのわずかな英語を身につけた.
研究室のLEGO作成発表会でジャパネットたかたのネタプレゼンをして爆笑の渦が起きた.
21歳(2014)
大学4年.研究以外に授業がなかったので,研究,競技プログラミング,セキュリティコンテストをしつつ,Blenderで大学のキャンパス等をモデリングしていた. supertask.jp作ったり,ヘビースパムHappyFuckを作ったりもした.
22歳(2015)
大学院入学.当時は珍しい3Dスキャナを手に入れ,研究室をモデリングし,人をスキャンし,仮想的に研究室訪問できるようにした(Labo3D).
全然エリートではないが,「エリート情報系の諸君.今すぐ内定を蹴ってシリコンバレーに来なさい.」 と Btraxさんの記事に影響されていたのと,兄がアメリカにいたのと色々あり,夏休みの2か月サンフランシスコへ留学した.
最初からホステルの兄ちゃんの言っていることがわからず兄に電話して,通訳してもらった.英語が全然わからなかったが,色んな国の友達ができ,特にフランス人,韓国人の友達に親切にしてもらい,凄く楽しかった.みんな癖(個性)があり,町のバーでは凄腕のエンジニアが多く,また行きたいとなった.
留学中に教授から留学支援の話を聞いた(トビタテ留学Japan).帰国後応募したが最後の面接で落ちた.その流れで再留学することに.
23歳(2016)
親の支援で,サンフランシスコへ再留学をした(10か月).留学中 Code for America の本部のある Code for San Francisco でOSS活動を始めた.また留学前に作っていたプログラミング言語 UnitX を完成させた(半年くらいかかった).
ラスベガスでは世界最大のハッカーカンファレンス,ロスでは感謝祭とNASAの研究所に行った.MakerFaire, ゲイクラブ, ゲイパレードがあったり,ゲイに本気でナンパされたり,インド人と戦ったり,トルコ人と宗教の話で爆笑しまくったり,SF日本人エンジニア飲み会ではヤバい日本人エンジニアがたくさんいた.自然も近くにあり,サイクリングやハイキングが最高な場所でもあった.
そして仲のいい友達が次々去って行った頃に,ちょうどベトナム人の友人から紹介された社長(友人のおじさん)にベトナムでインターンする?とかいう話があって,2か月ベトナムでソフトウェアエンジニアのインターンした.
24歳(2017)
この年は研究しかしていない.留学前に研究をほっぽり出して,帰ってきたため(正確にはアメリカに住むか,中退する計画だったが親が反対した),研究のプログラムを必死で書いた.
土日は趣味の3Dスキャンニングのシステムを作り,平日は研究のプログラムを休みなく書く日々だった.で最終的に教授のおかげで国際学会で2本通すことができ,最初の1本目はスペインで学会があったので話してきた.2本目は教授に発表していただけた.
就活は留学中にオファーがあり(経営者候補とかいうなぞのやつ),コロプラとちょいちょいSkypeをしてたが,結局帰国後,1日スキップ先行で通ったチームラボにした.
25歳(2018)
チームラボにサーバサイドエンジニアとして就職した.CGの知識はほぼなかったため,CG系のポジションをとることができなかったため,独学でUnityを使って作品を色々作った.
ちょうど半年くらいしてProject North Starという凄いOpen SourceのARヘッドセットが出てきて作成し,exiii代表の山浦さんのおかげでメルカリで登壇した.
また,サンフランシスコで出会ったエンジニアのsattzさんの紹介でFarmtoryLabで色々作り始めた.
26歳(2019)
レーザーカッターや3Dプリンタなども使えるようになり,レーザーカッターで服を作り,かつ本も書いた.理由はモジュラー・ファッションという概念が日本になかったから.
また,YouTubeでUnityで作成したCGのプログラムを公開し始めたり,発信しはじめ,Leap MotionのCTOにもフォローされるようになった.
今後
過去10年は凄く長かったと思う.プログラミングと留学が自分にとって強い武器になっていると思う.そして小さいころから数学と美術が好き&得意という軸は変わっていないのも面白いなと思う.ちなみにそれ以外は全くできない.
ただ一つ,タスクとして重要なことを忘れている,それは世の中の問題に取り組むということ.順に,気候変動問題,火星移住が人類に存続にとって最も重要だが,それに直接大きく貢献できるプロジェクトが日本にはおそらくないのと,自分自身の好きなもの(数学&美術)とは離れているため,力が発揮しづらいということ.
気候変動は異常にも関わらず(カリフォルニアやブラジルでは大規模火災が起こってるが),全然見向きもされていないように思う.今の文明で,キーとなるのは,おそらくAIとソーラー発電だと思っていて,イーロンマスクの今後の動きを追うのと同時に,自分はNASAが公開しているデータを3DCGで可視化することから始めようと思っている.一人でも多くの人に,何年後の未来にどういう状態に地球がなっているのかを知ってもらえれば人々の行動を変えられるかもしれない.
最後に日本に帰国した理由:日本人の彼女が欲しくなった.ただそれだけの理由.それがなければアメリカ,カナダ,又はヨーロッパに住んでいただろう.