見出し画像

法螺吹きの日曜日

毎月一日には法螺を書いている。
嘘八百。
いや、
実は半分くらいは本当のことが書かれているので、
嘘四百ってところか。



一日に法螺を書いたら、
二日に懺悔を書くようにしてきた。
しかし。あらもう五日だねえ。
まあ、今回は一日の記事の最後に法螺だよと書いたから
信じっぱなしの人もいないんじゃないか。
という油断。



江戸時代以前の人が走らなかった、というのは
ナンバ走りを紹介する人がよく引っ張ってくる言説だ。
ホントかよ。見たのかよ。と言いたくなる。

子どもたちはわけも無く走っただろう。
大人だって急いだら走ったんじゃないか。

と考えてみると、
確かに、日常生活の中で、
何かに追われなければ走ることなんて、無い。

ジョギングがご趣味の方とか、
心肺機能を高めることに躍起になっている方などは
「毎日走っているよ」と言うだろう。
いやもうそんなの、
必要だから走っているわけでもなんでもない。
言ってみれば贅沢な走りだ。

必要が有って走るのは何かに追われている時で、
その何かとは熊さんでも時間でもよくて、
そしてそんなもんに追われることは滅多に無いのだ。

それでも「毎日走っているよ」と言うのならば、
よほど毎日何かに追われて暮らしているのだろう。
現代人はそういうもんかもしれない。



明治の世になって学校教育が始まり、
「体操」という科目ができたのは本当だ。
そして、
「体育」の教科書に限っては昭和33年になって初めてできた、
というのも実は本当だ。

たぶん、本当だ。
なんかそういうことを解説している記事をインターネット上で読んだので、
そこが事実を突き詰めて書いていると信頼するなら、本当だ。



かけっこのスタートで「よーい、どん!」と言うところを、
明治の世では相撲にならって「はっけよーい、どん!」と言っていた、
というのはウソです。
ウソです、と断らなくても「ウソだろ」とは思ってもらえるだろうと
思って書いたウソです。


それではまた、一日に。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?