す~さん嘘つかない
天気が変わりやすい。
いや、天気予報が変わりやすい。
いやいや、天気予報が変わりやすいのは天気が変わりやすいからであって
※
以前、水道メーター検針の仕事をしていた。
外を歩き回る仕事である。
なるべく雨が降っていない方が仕事は楽だ。
雨が降りそうなら、降り始める前に仕事を片付けたい。
今雨が降っているなら、止んでから仕事を始めたい。
強い欲求は人間の能力を高めるのである。
ベテラン検針員のおばちゃんの予報は、気象庁発表より信頼がおけた。
私も勘が備わって、
仕事から帰宅して数分経つと雨が音を立て始める、なんてことはザラだった。
※
仕事を辞めて15年経って、ずいぶん勘が鈍ってしまった。
犬の散歩に出る前には、インターネットでナウキャストを見る。
ただ、4年ほど前にシステムが変わり、
それまでより予想精度が落ちたように思う。
1時間後までの雨雲の予想が見られるのだが、
この部分が当たらない。
雨雲の移動については正確なのだろうけれど、
雨雲の消長についての予想ができていないので、
現実的でない予想結果になっている。
だから、過去2~3時間の雨雲の動きの画像データを見て、
これからどうなるのか、自分で予想を立てる。
※
外に出て様子を見るのが一番良いとは思う。
自分の身体に経験を重ね、能力を付けるに越したことは無い。
そうすれば、なんの情報も端末も電源も必要無い。
※
なんだっけ。
あ、天気予報が変わるって話。
鉢植えなどを直売するための小屋を、玄関先に新たに自作している。
何日もかけてパーツを作ってきた。
晴れが続く予報だったので、
3日間に分けて、小屋を組み立てる予定を立てていた。
ところが、中二日目の今日の予報が突如雨ということになった。
そこで、昨日、突貫工事で一気に組み立てた。
いやー、疲れた。
※
日本で貧乏革命をしようと思ったが、
革命というのはさすがに一人でできることではなく、
多くの人がいっぺんに動いてこそ革命と言えるのであって、
でも私は大勢の人と行動するのはどうもやっぱり苦手だなあと思い、
革命はやめにして、革命的に生活してりゃいいや、ということにした。
だいたい、ヨノナカに文句が有るからそんなことを考えるのだけれど、
ヨノナカにまで変わって欲しいかというとそういうことでもなく、
自分の生活さえ自分の思うように営むことができればそれでいいのだ。
社会のために良かれなんて、思っていない。
自分さえ良ければいいのだ。
でもやっぱ自分が快適に生きるためには
社会のありかたが関係するじゃんと言われればそのとおりなのである。
なんかでも、自分の中に、
強く外へ働きかける力みたいなもんが薄い。
動機になる怒りとか不満とかも薄い。
無いわけじゃないのだが、
そこに集中する気力とか、行動に変える体力とかに欠けている。
あわわ、これってつまり、年取ったってことじゃん?
と言ってしまえばそれまで。確かにそうかもしれない。
※
反発とか反抗とか叛逆とか、
英語で言ったら接頭辞にanti「アンチ」が付くような
心情や行動を起こす気がしない。
でも、けっして順応しないし従順でない。
反発してはいないけれど、逆行はしているような気がする。
多くを稼ぐことを目的とせず、
自分の心身に豊かな生活を求める。
そういう接頭辞ってなんだったっけ、と考えていて、
retro「レトロ」だと気付いた。
※
月曜日の朝は全校朝礼が有った。
「みんなが廊下を体育館に向かって歩いてんのに、
スヤマだけ反対向きに歩いてんだよね。
なにあれ。どこでサボってたの?」
私はサボったりするような子ではなかったのだが。
けれど、みんなと違うタイミングで動いたりはしていたかも。
※
ダラダラと日頃の思いを書きました。
毎月一日には法螺を書いているけれど、
今月はお休みします。
なぜなら、昨日の突貫工事でとても疲れちまったから。
ついでに、一日中雨の予報だった今日も、
朝ちょいと降ったら止んだ。
そこで、夕方の雨の前にと思って、
庭仕事畑仕事をこれまた一気にやって、疲れちまった。
もう眠い眠い。
※
四月だけじゃ足りないからって毎月一日に法螺を吹いてんのに、
肝腎の四月一日に法螺を休む。
この調子で世に憚っていこうっと。
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