見出し画像

ナスの挿し枝を発根させる

15年くらい、毎日々々書いていたブログを、
半年ほど前からサボり始め、
4月頃からはほとんど書かない有様に突入していた。

8月に入ってからは、週に2回くらいは書けているのか。そんなに書いてないか。

書きゃあ好きだからつらつら書ける。
だが、しっかりと全体を構成して
一つの文章にまとめるのには、ちょっと体力が要る。

だらだらと独り言を書くのはイヤだ。
そんなもんを読んで誰が楽しいんだ?私は読みたくないぞ。という気持ちが有るからだ。
自分の日記を公開する露出趣味も無い。

なぜ4月からほとんど書かず、8月からちょいと書く体力が有るかと言えば、
畑仕事をやっているかどうかである。
2年ほど前から、庭に畑を作って、自分のために野菜を少し育てている。

4月5月はその作業が忙しい。
あまり体力に自信の無い私も、一日に何時間も畑で過ごす。

そうすると、畑仕事の合間はボケッと休みたいし、
夕方になったらもう風呂入って酒飲んで寝ちゃいたいんである。

だから、畑に仕事の多い季節は、ブログを書く脳みそに回す体力が残っていなかった。

一方、8月に畑仕事庭仕事が無いかというとそんなことはないのだが、
なんせ暑い。
無理は禁物。
ということで、積極的に畑仕事をサボっている。
おかげで、体力が残っている。
体力が残っていると、おのずと文章を書こうという気も起きてくる。

宮澤賢治に『セロ弾きのゴーシュ』という作品が有る。
農民の楽団員のお話だ。
夕方以降、楽器の練習にいそしむ。

いやー、これまた
楽器の練習をサボりにサボっている。
ブログ以上に体力を要する。
体力が残っていないとやる気が起きん。

ゴーシュの音楽に対する熱意には脱帽する。

それほど頑強でもなかった賢治の、理想の暮らしを描いたものなのかもしれない、
とも思う。
そう思うと、せつない。

毎年、夏の間、庭はほったらかしだった。
ぼうぼうと草は伸び放題。
ヤマノイモの蔓があちこちで木に絡んで、
種がムカゴが地に落ちてそれがまた芽を出して。
ひどい藪になる。

これはいけない。
いかにもほったらかしの荒れ放題だ。
見た目も暑苦しい。防犯の観点からもよろしくないだろう。
ああ鬱陶しい。

今年は頑張って、ヤマノイモの芽を取り除きまくった。
3年目のものは種芋として、植え直した。
徹底的にやった。

これが、4月5月にやっていた作業のうちの一つだ。

庭の整理が進んでみると、
夏野菜をやろうという意欲が湧いてきた。

茄子と胡瓜とトマトの苗を1本づつ買った。

6月7月と、毎日追われるようにキュウリを食べた。
それは今までに食べたことが無いほど甘く、
けれどどこかで食べたことの有る味がした。

なんだったっけなー、と考えてみたら、
スイカの味だった。
キュウリを食ってスイカの味がするんだから、お徳である。

そのキュウリも、猛暑に負けて、7月下旬に枯死してしまった。
来年は少し日陰に植えようと思う。

ナスが、最初の頃に3つほど実を付けて以来、
花を付けない。
株全体としては大きくしっかりと育ってきたのだが、
とにかく花が付かない。

調べると、どうも暑さのせいらしい。

ちょっとだけ気温の低い日が有ったら、
ひとつ、花が付いた。

さらに、挿し木で株分けできることを知った。
もしもこのまま本体の実付きが悪かった場合のために、株分けしよう。

挿し穂を切って、数時間は水に浸け、それを土に植えましょう。という。

えー。
たぶんそれでは枯れるだろう。
この暑さでは、無理だろう。

3本は指示どおりにしてみて、
あと2本はずっと水に活けている。
水には液肥を入れている。

すると、1本は根が出てきた。
でかしたでかした。

うまく育ってくれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?