日本再生:個人の成長と社会の繁栄をいかに実現するか? 序章 文化遺伝子としての「しかたない」対「しかたある」
「しかたない、しかたない」といつも口癖のようにつぶやいているひとが、あなたの周りにいませんか?ひょっとすると、「しかたない、しかたない」とあなたも繰り返しているのでは?もしそうだとしても、あなたにはまったく非はありません。なぜならば、「しかたない」と言わざるをえないように、多くの日本人は文化的そして社会的に条件づけられているからです。
言語体系の中の「しかたない」
「しかたない」という考え方は、日本の言語体系という文化遺伝子の一部に組み込まれています。実際、「しかたない」は日本語辞書に記載されていますが「しかたある」は載っていません。
その結果とまでは言いませんが、「しかたない」を内面化したわたしたちは、なんらかの問題や困難に直面した際に、ついつい「しかたない、しかたない」と条件反射的に心の中でつぶやき、あきらめてしまう傾向があるのです。そのような傾向を持った文化遺伝子を反映して、日本語辞書からは「しかたある」という言葉が欠落しているのです。
なぜ、わたしたちは「しかたない」と自分に対し、自分で言う必要があるのでしょうか?「しかたない」という言葉の背後にある意図は、なんでしょうか?「しかたない」には、いったいどのような社会的な役割あるいは機能が組み込まれているのでしょうか?「しかたない、しかたない」と繰り返すひとは、どのような人生を選択することになるのでしょうか?
ひとつはっきりと言えることは、「しかたない」という言葉には、ひとびとに消極的で受け身の人生の道を選択させる効果があることです。それは、わたしたち個人にとって、また社会にとって望ましいことなのでしょうか?
「しかたない」から「しかたある」へ進化すべき文化遺伝子
「しかたない」という言葉を日本語から削除して「しかたある」に置き換えることを、わたしは提案します。そうすれば、消極的で受け身の人生から積極的で能動的な人生へ、多くの日本人が生きる姿勢を180度根本から変えることが可能になるからです。
これは、みなさんの人生により良い結果をもたらすために、とても大切な第一歩になります。より創造的でやりがいのある仕事のみならず、より協力的で生きがいのある人生を実現できる方向へ進むことができるでしょう。
その効果は、個人レベルでのやりがいや生きがいの獲得にとどまりません。わたしたちが働き生活している場である日本社会が、政治・経済・社会・文化の面において、より健全な姿で発展することにも貢献できます。
要するに、創造的で協力的な思いやりの心を持ったひとびとが住む、希望ある社会を創発するために、わたしたちは日本の社会環境を形成する文化遺伝子を進化させる必要があるのです。
社会秩序維持に利用される「しかたない」
「しかたない」という言葉は、生まれた後に、わたしたちの心に組み込まれた文化遺伝子です。文化遺伝子とは、社会秩序を維持するために必要な共通の価値観、すなわち集合的な思想、規範、慣習、考え方、言葉などわたしたちの信念体系に組み込まれた人工的な遺伝子のことを指します。その機能は、生物遺伝子と同じように、文化と呼ばれる社会の特徴を後世のひとびとに伝えることにあります。
例えば、言語体系という文化遺伝子は意識および無意識の両レベルにおいて、わたしたちの行動をコントロールしながら、社会秩序を維持する機能を担っています。つまり、「しかたない」という文化遺伝子は、社会秩序を維持する目的のために、社会規範から外れた個人の行動を(しかし、もしかすると本来起こすべき行動も)断念させる働きをしているのです。そうすることによって、ひとびとに社会秩序を維持させる役割を与えているわけです。
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