06「MとRの物語」第一章 5節 サンドイッチと黒犬
何の検査をするかという話になり、CTとか、MRIとかいう言葉が出ていたようだけど、私が受けたのは、血液検査とX線検査だけだった。少しほっとした。まるでSFに出てきそうな機械の中で、私は目をつむり、検査終了を待った。長い時間だった。
結果は午後に出るということで、母と私は、病院を出て食事が出来るお店を探したけど、驚くほど高いお店ばっかりで、結局、コンビニで買ったサンドイッチとお茶を持って、病院の近くの大きな公園でベンチを見つけ、座ってそれを食べた。
「昨日より顔色悪いように見えるけど、ほんとに大丈夫?」
「うん、大丈夫。たぶん顔色は、倒れたのとは無関係だから」
「そう、なの?」
「うん、たぶん」
母は突っ込んで聞くべきか、そうしない方がいいのかと、迷っているようだった。実は私も、迷っていた。昨日の夜の、Mとの会話を、母には話すべきなのかどうかと。私自身にも、本当なのか夢なのかわからず、半信半疑なんだけど、だからこそ、話すべきなのかもしれない。もし母が何か尋ねたら、全部話そうと決めた。でも母は何も聞かなかった。サンドイッチを、なんどもなんどもかみしめて、味わいながら食べていた。私もそうした。
「桜の木が沢山あるね。お花見にいいかもしれない。来年こようか」
「うん……」
お花見……、その言葉に、私の気持ちはさらに落ち込んだ。小さい頃、父と母に連れられて、春にはよくお花見に行っていた、はずだ。でも何も覚えてない。だから、お花見が楽しいイベントだという記憶や認識が、私にはなかったのだ。参加したくないイベントに、楽しいふりをして参加することなんて、私にはできない。たぶん無理だ。でも母を悲しませたくないから、私はきっとそうするんだろう。そう考えると、私は憂鬱になってしまったのだ。もしかしたら、そんな私の気持ちは、もうばれてるかもしれない。そうだ、母もそうだけど、今私の中にいるはずのMにも、きっと私の気持ちはバレバレだろう。私の気持ちは、さらに重くなった。思わず私は、大きなため息をついたが、母はそれには気付かなかったようだ。私は緑に切り取られた蒼い空を見上げた。白い雲が綺麗だ。サンドイッチもおいしい。お茶もおいしい。でも、何か足りないと思うのはなぜだろう。さっとふいた風が心地よかった。
「あら、かわいい犬」
母の言葉に、その視線の先を追うと、黒い帽子をかぶった女性に連れられた、小さな黒い仔犬がうれしそうにきょろきょろしながら、歩いていた。
「ほんとだ、かわいいね、くろしば」
「へえ、くろしばっていうんだ。いいなあ」
「うん、でも私はパピヨンが好き。飼うなら白いパピヨンがいいな」
「お、めずらしくRちゃんが自己主張……」
「え?」
私は驚いて、母の顔を見た。その目はうれしそうに見えた。
「ううん、なんでもない。お母さんね、Rちゃんがお母さんには、本音を見せたくないのかなって思ってたの。お母さんに気を使うのが普通になっちゃっていて、そうなっちゃったのかなぁって」
「そんなことないよ。私はいつも本音で……」、あ! と思って私は黙り込んだ。やっぱり母にはばれていたのだ、私がほんとは、お花見には行きたくないと思っていたこと……。でも違うの。くろしばが好きじゃないわけじゃない。アイツの小説に出てきた黒犬が、あまりに不気味すぎるから……、だから白いパピヨンなの。と、説明したかったけど、言葉にうまくできなさそうで、うまく伝わらない気がして、私は黙っていた。悲しかった。ころころとした小さいくろしばは、私達の座っているベンチの近くを通り過ぎていった。くろしばを連れている女性が、こちらに会釈をした。もっとおばさんかと思っていたんだけど、近くで見ると、意外と若い人だった。おばさんに見えたのは、黒い帽子のせいか。
「かっこいいね、あの帽子」私は言った。
「ん? ワークキャップ? 男性向けの帽子だけど、女性がかぶってもかっこいいわね。確かラピュタにも登場してたね」
「そうなの?」
「うん、気にいったのなら買ったげようか。Rちゃんには青いワークキャップが似合いそう。あ、でも色は自分で決めてね!」
「うん」
母に笑顔になって欲しくて、本音を隠していた。でもそれは逆に、母に心配をかけていたんだろう。これからは欲しいものは欲しいと、嫌なものは嫌だと、言うようにしよう。それが会話なのだ。コミュニケーションなのだ。
ちょうどいい時間になったので、私と母はベンチから立ち上がって病院に向かった。木陰を出ると、強い日差しが目を刺激した。夏が近いのかな、と思った。