26「MとRの物語(Aルート)」第二章 3節 母の記憶
人の心なんて、知らない方がいい。
悲しい記憶なんて、なくなればいい。
(目次はこちら)
「MとRの物語(Aルート)」第二章 3節 母の記憶
Rとショッピングモールに行ったその夜、Rの母親は、やはり残業で少し遅く帰宅した。食後のコーヒーを飲みながら、Rは「春の海」読了の話をした。母親はうれしそうに微笑んだ。
「すごいね。全部自分で読めたんだ。設定が大昔の日本だから、どこかでつまずくと思ったんだけど、大丈夫だったんだね」
「うん、あれ? って思う所はいくつかあったけど、大丈夫だったよ、インターネットもあって調べられるし」
それに、Mさんもいるからね。
ああ。書いた本人に聞けば、なんでも解決だな。
母親は「春の雪」を手に取り、ぺらぺらとページをめくる。Rが言った。
「二巻も読みたいんだけど、貸してもらってもいい?」
「うん、もちろん」
母親は立ちあがって、奥の部屋のダンボールをさぐった。そのダンボールには、Rの父の遺品がすべて納められている。男一人の遺品がたったダンボール一個とは、Rの父のまじめさが偲ばれる。母親はそこから、豊穣の海第二巻、「奔馬(ほんば)」を取り出し戻ってきた。Rがその本を受け取る瞬間、俺はこっそりと母親の手に触れ、その記憶のすべてを読み取った。それもまた暗く悲しい記憶だった、母親の気持ちが、言葉となって俺の心に流れ込む。
この子は、父親のことを忘れているのが一番いいの。
だからお盆のお供えも、しない方がいい。
それがこの子のため。
「ありがとう! 続きが気になってたから、助かるよ」Rが小説を胸に抱きしめた。母親が、にっこりと笑った。少し寂しさを含んだその笑顔に、Rは気づかなかった。しばらく読み進めて、Rが俺に心の声で話しかけた。
なんかお話、だいぶ飛んじゃってるね。
ああ、春の雪の舞台が明治から大正にかけてで、
第二巻の「奔馬」の舞台は、昭和7年(1932年)。
約18年後のお話だな。
その18年の間に成長した、
もう一人の清顕くんが、主人公なの?
そうだ。いや、考えようによっては、
1巻では脇役だった、本多が2巻の主人公なのかもな。
ふうん。Mさんにも決められないんだね。わかったよ。
Rはもくもくと文字を追っている。1巻を読んでいた頃より、読むスピードは明らかに速くなっている。
Mさん! 祝詞(のりと)とか榊(さかき)とか、
幣(ぬさ)とか玉串(たまぐし)とか、
わからない言葉が登場しすぎだよ! 泣きそうだよ><
ぐぐれ!
えーん><
Rの反応はごく自然なもの。普段使わない語彙への拒絶反応だ。だからこそ俺は、それを小説化した。時代とともに風化し、誰にも使われなくなる単語。そんなものがこの世にあるとしたら、悲しすぎるじゃないか。それはいわば両親に恵まれない子供と同じ。俺はそんな恵まれない言葉の子供達を救済したくて、小説を書いていた、といっても過言ではないだろう。すべては美しい日本語のため。美しい大和言葉のため。
ちなみに「祝詞(のりと)」とは、祝辞、おいわいの言葉、榊(さかき)とは、神道において、神棚や祭壇に祀られる植物、幣(ぬさ)とは、穢れを払うための白い紙飾り、玉串(たまぐし)とは、神道において、神様に捧げる榊の枝である。インターネットで調べ、こういう知識に触れることで、読者の魂は、より神に近づいていく。俺はその橋渡しを成し遂げたかった。「この世に神はいる」、という確証は、その頃の俺(M)には、なかったのだけれども。その後しばらくノートPCを使って調べていたRが、俺に言った。
Mさん、わかったよ。
神道の儀式のためのアイテムなんだね。
本多くんは、そんなアイテムを見て、
おごそかーな気持ちになっていたんだね。
そうだ!
偉いな。よく調べた。
えへへ!
そうだ、そして更に言えばR。お前の心も、それらのキーワードを調べる過程で、おごそかな神道に触れ、それによっておごかな心境になっていたはずだ。それもすごく、重要なことなんだよ。
母親がコーヒーをいれてくれた。ありがとう、と言って口をつけるR。微笑みながらRを見つめる母親。だがやはり母親の表情にひそむ、ほんのわずかな悲しみを、Rは読み取れていない。苦いコーヒーの香りとともに、夏の夜はしめやかに過ぎていった。