見出し画像

SUPER EIGHT 超DOME TOUR 二十祭

私とエイトの出会いは、2013年夏。突如テレビに映ったイケメンに目を奪われ、その後の人生を彼らと共にすることになるのです。

私の人生にはどこに行くにも何をするにも彼らがいました。受けた影響は計り知れません。

私は彼らを「帰る場所」「心の拠り所」「実家」とことある事に表現してきました。
いつも、いつでもそこにいてくれる彼らにすっかり安心して、後輩を応援してみたり他界隈を覗いてみたりもしました。

そんな時、衝撃が走ります。
渋谷くんの脱退です。
まず最初に某週刊誌が脱退か?と記事を出した時、「まさか、そんなことがあるわけない」と思ったのをよく覚えています。
おや?と思い始めたのは記者会見を開くと知った時。いつものそれでは無いのを理解しました。

7人の残りの時間を目に焼きつけるように、再スタートをきる6人を見逃さないように更に関ジャニ∞にのめり込んでいきました。
懸命に前を向く彼らの声に、言葉に、泣いて笑って過ごしたあの時間は間違いなく充実していました。
ついて行くのに必死になるあまり、自分の中で上手く消化することが出来ず長い尾を引いてしまうことになるのですが、この時は知る由もありません。

翌年の十五祭、うっすらと次は錦戸くんでは、、いや、解散かも、、と言った声も小耳に挟みながら入った個人的初日の名古屋。
いつもありあまる元気な姿を見せてくれる彼がときたま見せる寂しそうな顔、目に焼きつけるかのようにペンライトの海を見つめる姿。タイムリミットが迫っているんだと、脱退、解散は現実味を帯びたものであると実感したのを覚えています。
オーラスのWアンコールで本当に最後だとボロボロ泣いた無限大。涙で前が見えなかった。もう会えないかもしれない彼らを目に焼き付けたいのにとめどなく涙が溢れて止まらなかった。
その後に映し出されたto be continued...の文字に終わらないんだと更に涙が溢れ安心して崩れ落ちたのも昨日ことのように鮮明に覚えています。

その後の錦戸くんの脱退、世界的パンデミックで47都道府県ツアーの中止、オンライン開催ライブなどを乗り越え久しぶりの有観客ライブとなった8BEATで村上さんの「俺たち5人、関ジャニ∞で良かったぞー!」の声に涙して。この頃になってようやく自分の中で落とし所が見つけられたと記憶しています。ここまで長かった。
18祭では大好きな関ジャニ∞は変わらずにそこにいてくれていることを改めて実感して。少しずつ5人になったエイトとの思い出を積み上げてきました。

さあ待ちに待った、二十祭。
あまりに濃厚な時間でした。1秒たりとも忘れたくない、見て聴いて感じたそのままを記憶していたい。

東京3日目、丸山さんが「まじでおつかれさま」と言ってくれた瞬間、あの日から蓄積されていた言葉にできない感情が霧が晴れるようにスっと消えてなくなりました。ねぇ丸ちゃん、あの日の私が救われたよ、ありがとう。

オーラスでは村上さんが目を真っ赤にして、福原くんが「なにがあっても続けてね」と言ってくれたことが嬉しかったと教えてくれました。まだまだ続けて欲しい、この先も彼らといたいと思うのはオタクのエゴかもしれないと隠してしまった言葉は、彼が欲しかった言葉で、この先も続けていきたいと思ってくれていることが何より1番嬉しかった。

あの日、涙で前が見えなかった悲しい思いでいっぱいの無限大は、イヤモニを外してeighterの声を直接聞いて幸せそうに微笑むエイトとの大切な無限大に変わりました。

19年続いた関ジャニ∞を超えるまで、超えたその先もSUPER EIGHTと共に歩んでいきたい。
好きになってから10年以上経ってもそう思わせてくれるエイトに出逢えたこと、そんな彼らの20年が詰まったライブに参加できたこと、これまで一緒に歩んできた全ての時間が私の宝物です。
二十祭、この先ずっと忘れたくないよ〜〜〜!!

君と逢えた"このキセキ"に "この時"にありがとう

ずっと愛しています。

いいなと思ったら応援しよう!