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イヌ、走って虹の橋を渡ってくれ

先日、18年我が家族として連れ添って来た
イヌが亡くなりました。

イヌはすごく元気で健康な子で、
想像してたよりもずっとずっと一緒にいてくれたので、本当に感謝しかありません。
長い時間、健康でいてくれたこと、
これ以上に嬉しいことはないのですから。

感謝、嬉しい気持ちでいっぱいな一方、
やっぱり18年一緒にいてきた分とてもとても寂しくて、悲しい。急に涙が出て来たりしてるけど、
いつも明るかったイヌのことを思うと
メソメソしててもなんか申し訳なくて、
ちょっと思い出を書いてみようかなと思いました。

以下、イヌとの思い出です。

うちのイヌは犬の中のイヌ

靴下が大好きだったイヌ

どういうこと?って話ですよね?
私もこれ10年くらい経ってから気づいたんですけど、
彼女は全然「飼い犬」じゃない、
どちらかというと「野生のイヌ」でした。

まず、彼女はヨークシャーテリアで、
いわゆる超小型犬に分類される、平均体重3キロの小粒なワンコです。
しっかしそんな体で家のあちこちに猫のように乗りまくってます。

まずソファの背もたれの上。
人間だとこれはビル3階の高さに相当するのでは?

テーブルの上。
どんなに厳しく躾けても言うことは一切聞きません。夏なんて冷たいテーブルクロスの上で寝てることがありました。(やば)

服やリボンは絶対拒否。
人間のエゴではありますが、やっぱり可愛いお洋服を着せてあげて、一緒に散歩する❤️って思ってたんですが、こんなん夢のまた夢。
もう全身を捩って拒否します。なんなら散歩のリードをつけるのも一苦労。毎日格闘します。
唯一冬場の散歩は寒いのでエルモの服を着せてあげてました。(ガチの機能目的)

そんな感じで、とにかく、
自我が強くて、人間と対応にやりあえる、
小さな体でデカい精神力と体力のイヌ様だったんけです。

語り継がれる数々の事件

頭隠してケツ隠さずイヌ

彼女は結果として18歳、
犬としては大往生だったわけですが、
何度かアクシデントで死に瀕しました。(時が過ぎた今では笑い話です)

まずそのイチ、
「大脱走事件」
イチ、というかもう脱走は5回くらいしてます。
特に7.8歳くらいまでは本当に外に出るのが大好き、隙あらば外に出たいわけですね。

そういうやつなので、基本玄関には行かせない!ドアを開ける時は慎重に!が我が家のモットーでした。

しかし!
あまりにも小さい体、ちょっとしたドアの一瞬の隙間からとんでもないスピードで飛び出すんですね。

何度も脱走し、幸い家の前は車通りがほとんどない道路だったので、その範囲でご褒美の「ささみ!」「ビッケ!(ビスケットのことです)」と叫んで無理やり呼び戻したことが思い出されます...
まじで、「え?なに肉くれんの?」みたいなまんまるお目目で帰ってくる顔がめちゃくちゃ腹立つんですよ笑笑 あの顔忘れられない。

でも一回だけ、母がまじで気づかない間に脱走し、
ご近所さんが抱っこして連れてきてくれたことがありました。

そんなことあるか?と思いますよね?
ただ彼女だったらあるんです。人間の脛の半分くらいの高さ、爪も切ったばかりだと足音もほぼしない忍びみたいなイヌはおかんの足の隙間を超えて気づかないうちに脱走、あれ?いない?と思ったらピンポンが鳴ったと。

その時にご近所の方が受け止めてくれなかったら...
まぁ本当に行方不明なってましたよね!!!おバカだから家にも戻れないだろうに!!!
本当にそのご近所の方には感謝しかありませんよ。

そのニは「りんご丸呑み事件」。
これはもう私の目の前で起こったので、鮮明に記憶があります。

彼女はテーブルに乗ってしまうので、
絶対に食べ物をテーブル上に放置しない、が家族のルールでした。
しかし、あの日は人間で言う一口大のリンゴを
ラップを半分しかかけない状態で放置してしまったのです....

母と私は一瞬部屋を外し、
部屋に一緒に戻ってきた瞬間、テーブルからものすごい勢いで何かを持ち去ったイヌがおりました。
「何とった!?」と慌てたところテーブルの上からりんごが一つなくなっている。

しかし彼女はもうリンゴを持ってない。
ん?リンゴどこいった?

と思った瞬間、イヌがヨタヨタしてからえずきはじめ、ここで初めてリンゴを丸呑みしたことを認識しました...

慌てて吐かせようとするものの全然無理そうであり、
やがてボコボコ泡を拭き始めてしまい、
もう母と私は半泣きで慌てる。

動物病院に電話しよう!とどちらが言ったかは覚えてませんが、かかりつけのところに電話したところ、
「逆さにして背中叩いてくだい!」と
赤子が誤飲した時などの対処と同じものを伝えられ、母がひっくり返して背中をポンと叩いたら、
リンゴがコロッと出てきました。
彼女はそのあとケロっとして何が起こったかわからない様子...

これは母と私の中で彼女の人生最大の危機と呼んでいます。笑
助かったので、若干笑い話にもなってますが、正直本当にあの時はもう死んじゃう...と思いました。
いうてもリンゴを置き忘れた人間側のミスであり、
その後テーブル上のルールはさらに厳重になり、
食事中にポロっと落ちた食べ物も絶対に人間が先に見つける気合いで立ち向かいました。笑

結果誤飲はその時だけでしたが、
この時もう一回死んだ、と想ってその後は特に感謝しながら過ごす毎日でしたね。

本当に小さいカラダでやんちゃな子。
信じられないくらいちょっとのことで消えてしまうかもしれない命を預かっている、という重みは子どもながらに心に刻まれました。

老後のイヌ

これからイヌを飼おうと考えている人全員に
ぜひ聴いてもらいたいのは「イヌの老後」についてです。

前述した通り、バケモン級の体力と身体能力のある超小型犬の我が家のイヌも老いは確実に進み、そして最終的には介護の日々でした。

うちのイヌは最終的に18年とかなり健康に長生きしてくれましたが、
まず、12歳ごろから白内障で徐々に目が見えなくなりました。散歩中、注意してやらないとコケるしいろんなものにぶつかりそうになります。

そして、14歳ごろにはすい臓の病気をしました。
下痢と嘔吐が続いて栄養が取れない時間があり、もう薬も摂取できなかったので、投薬もやめました。
でもなんとか盛り返し、ご飯を食べるようになったらすこぶる元気になりました。(薬も時に飲ませれば治るわけではないな、と学んだ瞬間)

16歳になる頃には、
なんとか1人で歩けるものの、トイレは足腰の踏ん張りがきかなくなり、人の介助が必要になりました。
誰もいない状態で家を空けることはせず、交代で面倒をみました。

私が彼女のことがすごく好きなところは、
そんな状態でも「絶対に歩きたい」という意志が強いことです。
本当に最期の3日ほどご飯が食べれなくなるまで、毎日1時間は部屋の中でウォーキングしていました。
もうヨタヨタだし、いろんなものにぶつかる。
でも、若い頃に散歩に行きたすぎて発狂したり、散歩から帰りたくなくて家の前を全力疾走で走り抜けようとするようなバイタリティはそのまま。

自分で歩ける範囲は絶対に歩きたいんです。

老後でも一丁前に嫌な時は抱っこを拒否してました。笑
そんな危ういウォーキングを彼女らしくて家族はなんとか家の中のものを退けながら、狭いケージには入れずに整えて支持してました。(母の絶え間ない努力のおかげです)

だからこそ、
最期ご飯も水もが摂れなくなってしまって、動けなくなってからは唯一、少しだけ可哀想でした。

流石に18歳の体で飲まず食わずになると、半日で1人では起き上がれなくなりました。
そんな状態でも、
クーンと泣く時があって、足をバタバタとさせるので、
たぶん歩きたかったんでしょうね。

もちろんもう立てないのですが、
支えながら少し立たせてあげて満足気にしてました。

本当の最後には私は立ち会えなかったのですが、
1番長い時間を過ごして、
恐らくイヌも最も信頼して大好きだったであろう母が隣に寝ている時に眠るようにして亡くなったそうです。

どうか、どこかで走り続けていてね

本当に小さい骨になってしまったイヌですが、
亡くなる前に足をバタつかせていたことが頭から離れません。

今何よりも願うことは、
もしどこか違う星にいるのであれば、
そこで思いっきり走っていてほしいということです。

いつも体を思いっきり動かして、
はつらつとしていた彼女らしい姿で、
1番幸せな姿でいて欲しいな。
ウチのイヌが亡くなる1ヶ月ほど前に、
テヒョンさんのヨンタンも虹の橋を渡りましたが、
ヨンタンや昔おばあちゃんの家で飼っていたワンコたちがうちのイヌを優しく迎えてくれてるんではないかな〜、と勝手に思っていて、これは残されたものの勝手な安心ですが、
そうであってくれると嬉しいなと思ってます。

ペットショップで出会い、
うちに来てくれて本当に可愛くて大好きで、
大切にしてきたあの小さい子が、
18年間一緒にいてくれて、育んだ愛からたくさんのことを学んだように、
いなくなってしまったことで感じる喪失感からも何かを得てまた前に進んでいけると良いなと思っておます。

今は2度とペットは飼いたくない気持ちですが、
出会いも別れも受け入れた家族に今まさに愛されて人と一緒に過ごす全てのイヌ、
そして動物たちに幸せでいて欲しいですし、
そのために何ができたら嬉しいなと思っています。

イヌ、元気でね!
たくさん走ってたくさん食べて、家族を待っていてください。

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