小言のこごと「モラトリアムと春」
この世界には大人達に囲われて逞しく歩む25歳の隼くんと、モラトリアムで無邪気に揺蕩いながら生きる17歳の隼くんのふたりが居るな、と偶に思う。
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GENERATIONS from EXILETRIBEの小森隼さんがTOKYOHEADLINEで連載中のコラム、「小森の小言」。
第70弾の主題は「この季節にふと思うことはなんですか?」でした。
昨年まで2週に一度、最愛の著者こと隼くんが掲げる「小森の小言」のテーマに沿って自分の考えだとか感想を残していたけれど、如何せん慌ただしさの中で書くことに躓いたりなんだり。
(とはいいつつ「歯ブラシ」のテーマの為に、実はしっかり人生の4分の3振りに歯医者さんを受診してみてたけど)
時の流れと共に隼くんの書き残し方もまた楽しく変わって、まあいいかとここ暫く感想はSNSで軽く残す程度でした。
だけど、もう第70回と言葉を重ねた小森の小言を読みながら、何故だか「やっぱりちゃんと書き残しておく事に意味がある気がする」とふと思ったのが3月25日の木曜日のこと。
だって今日の自分がどんな気持ちになったなんて、情報がどんどん溢れかえるSNSではアルバムみたいに丁寧に、簡単に振り返れやしないのだ。
隼くんが形にした言葉の数だけ、私にも70回分の感じた気持ちがある筈なのに。今日と私とおんなじ気持ちにはこの先なれないかもしれないのに、隼くんは幾重に変わりながら前に進んでいるというのに。
そんなのはなんというか、私はちょっと寂しい気がする。
だからこれからは例え短くとも隼くんの言葉を読んで「書き残したい」の衝動に駆られた時に、ここに気持ちを綴っておきたいな。上手く書こうとか、そういうんじゃなくてね。
テーマは事前発表では無く毎度2週に一度の隼くんだけのお楽しみだから、これからは生まれたてほやほやの愛すべき小言に感じたことを。
他の誰の為でもなく、この先も変わらず隼くんの言葉が、なによりも小森隼さんの事が大好きな未来の私の為に。どうかいつか振り返って、今の私を楽しく笑って。
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なぜ僕がこの季節に⼊学や卒業を
想うのかと⾔うと
もちろん、ニュースとか⽂字で
⾒るのも⼤きな要因の1つですが
僕⾃⾝に⼤きな思い出がないからです。
この穏やかな春の時期に入学や卒業を想起する理由として多分殆どの人が「友達との別れ」「新しい日々の始まり」「想いを伝えた卒業式」なんて懐かしさに浸る最中でぽつりと「後悔」を挙げるの、隼くんが生きてきた道ならではだよなと思う。
愛すべき学び舎との別れの式に泣く子も居れど、結局のところ1カ月もしない内に大抵の子が制服姿でまた再会する小学校の卒業式と中学校の入学式。
それぞれが初めて「進路」という希望に沿って学ぶ場所を選ぶから、今までよりもうんと知らない同士が集まるどきどきと希望に満ちた高校の入学式。
大人になる前の、思いっきり子供で居れる最後の3年間。社会人になる子も居れば進学する子、長く育った家を出る子も居るから、今生の別れになる可能性だってあって、涙ながらに過ぎた時間に想いを馳せる高校の卒業式。
そういう「よくある学生時代の在り方」とは、なんだか色違いをあなたは生きてきた。
しばらく、⾃分の家に帰って来ないんだ
みんなとはしばらく遊ぶことが出来なんだな。
小学校の卒業式でこんなにまじまじと現実を甘受する子ってあなた以外に居たかなあ、どうだろう。
腑抜けた顔をして卒業式証書を受け取る12歳の私が、ひょっこり頭をよぎる。普段は着れない様な、胸元にリボンが揺れるアイドルみたいな礼服を卒業式で着れてはしゃいでた当時の私には、多分あなたみたいに未来を静かに迎える事が出来なかった。
その後、気が付けば人生の半分以上を親元を離れてたった独り旅立った先で過ごす事も。
(でも、馬鹿にされたくなくてスタートで頑張った結果、空回りした時の未だ苦い気持ちはなんだか凄くよく分かるよ。そういうのって大人になっても鮮度が落ちぬまま残るもん。)
人間としてまだたった12年しか生きていないのに小さい足で踏み出した隼くんが、今大人になって自分の帰る場所はどこかと偶に問うという事。
あなたの名前も相まって、群れから遠く離れ誰より巣立ちの早かった鳥みたいだなと思う。
「後悔してる」の最中に寂しさはあるだろうか、どうかなあ。「みんなと同じがよかった」と、進む道を悔やみはせねど、唇を尖らせたい日はあったかな。今もあるのかな。
分からないけれど、偶に振り返りながら今も絶えず羽ばたいて進むその背中は、どうしてもやっぱりうつくしいなと私は思う。
みんなと違う道を歩む事、みんなから外れる事、自分の羽で飛ぶ事。
大人でさえ一世一代の勇気が要ることを、沢山の大人から甘え甘やかされて良い筈の年頃にあなたは為し得てきて今に至ってる。
どうかその勇気がこれからもちゃんと自ら讃えてあげられます様に。あなたはとっても格好良いんだぜ。
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そしてあなたの学生時代を、人生を話す上できっと忘れる事が出来ないのがそう、17歳の決断について。
僕は⾼校 2 年⽣の時に通信制に編⼊して
ここで僕の⾼校⽣活はストップした。
今までに何度か話してくれた事があった、高校2年生の頃に全日制から通信制へと編入した話。
自分だけが編入で今まで当たり前にあった「学生生活」から離れるから、寂しさがこんがらがって素直になれずについ大切な友達に冷たく当たってしまったこと。
あなたはきっとそんな事、本当はしたくなかった筈なのに、大好きなのにね。心ってむつかしいね。でもその向き合い方はきっと、あなたの友人への信頼の深さ故だったんだと思う。
悩んでた最中、ふと見たテレビのコマーシャルで出会った歌。
「光れ言葉よ、それが魂だろう。闇を照らしてどこまでもいけ」、あの日から隼くんの勇気になった歌。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONさんの「マーチングバンド」が、25歳になったあなたにも無限の可能性と勇気、そして御縁を与えているということ、きっと17歳さんは想像もしていなかったんじゃないかな。
悩んで、転んで、立ち上がって、そうして下した17歳の決断の中で隼くんは「高校生活をストップした」と感じていた事、今までに聴いたことのない表現だったから少し驚いた。
と、同時に「だからか」と密かに自分の中で実は納得が生まれた瞬間だった。
私、この世界には大人達に囲われて逞しく歩む25歳の隼くん(あと2か月と少しで26歳になるね)と、モラトリアムで無邪気に揺蕩いながら生きる17歳までの隼くんのふたりが居るな、と偶に思う。
モラトリアムとは?
-E.H.エリクソンの提案した精神分析学の用語。本来は「支払い猶予期間」の意であったのを転じて,社会的責任を一時的に免除あるいは猶予されている青年期をさす。生きがいや働きがいを求め,発見するための準備を整える一方,自分の正体,アイデンティティを確定できず,無気力,無責任,無関心など消極的な生活に傾きながら,自我の同一性を確立してゆく。
世の中には「モラトリアム」という言葉にこんな具合の意味があるけれど、意味なんて千差万別、星の数ほどあっても良い筈だ。
だって隼くんは、みんなが社会的責任と向き合うよりうんと前に対峙してるし、関心と気力の果てで今を選んでる。
私の思うあなたのモラトリアムは「高校2年生の頃、自ら勇気を持ってストップした、蓋をした17歳までの隼くんの心」。
なんといえばいいかな、
例えるならばスノードーム。
まあるいガラスの球体の中に、夢を貰った小学生時代、中学校に進学して新生活へわくわくとどきどき、学校終わりに見上げた空の色、好きな子に抱いたきらきらした優しい色の気持ち、純な無邪気さ、文化祭の出来事、自分の夢の為に葛藤したこと、言語化出来ないこんがらがった気持ち故に誰かに意地悪してしまった思い出、よく笑いよく涙する感受性の豊かさ、決断と今も残る後悔、そして「思い出が無い」という思い出と...
挙げればキリが無いけれど、そういう数多の記憶と心を、澄んだ水と共に通信課程への編入を機にぎゅっと蓋をして閉じ込めたイメージ。
大人として今を生きる25歳の隼くんの腕の中に、モラトリアムのスノードームで揺蕩う17歳までの隼くんがいつも居る。
スノードームって春の入口に居る私達には少し季節外れに見えちゃうだろうか。でも閉じ込められた不変的なそのうつくしさは、巡る季節も年月も構わず褪せぬもの。今を生きる隼くんとおんなじに、17歳までの時を止めたあなたも等しく眩しい。
大人な今と子供な過去、ふたりでひとつ、ひとつがふたり。
もし将来タイムマシンが出来ても
僕はやり直さないでしょう。
あの頃の思い出は僕が素直に⽣きた証だから。
学生時代に後悔はあれど、その思い出達を蔑ろにするつもりなんて無い。
後悔を素直に生きた証として甘受する、そんな隼くんだからこそ、きっと今ラジオの中の学校こと「SCHOOL OF LOCK!」で、毎夜10代の子達と向き合う教頭先生を務めているという事に意味があるのだ、と私は思う。
小さな恋の話に大騒ぎして、擽ったく笑いながらわいわい10代と同じ心で共にときめいた夜。
大丈夫だよ、大丈夫なんだけど。
それでも焦って、上手くいなくて、「僕になら出来ます、任せて下さい」と、そう胸を張って挑んだけど思う様に行かなくて、悔しくて情けなくて、経験を積んできたが故に責任が付随する大人・まだ旅を始めたばかりの青い人、ふたつの立場を抱えたまま俯いて涙していた夜。
「俺は経験した事が無いんだけどね」、あなたは必ずといって良い程にそう前置く。
大人だからといって決して生徒の人生の辛さを知ったふりはしないし、自分の人生に無かったものを決して軽く扱ったりはしないけれど、大人だからこそ自らの人生経験で得た心で誠実に、温かくエールを贈った夜。
10代の頃からの憧れの人を前にして、心臓を高鳴らせながら10代の様にありのまま青く純に向き合った夜。
本当はおやすみの筈なのに「皆んなに会いたかったから」と、
その心の赴きに素直に、ラジオの向こうの君を願いながらパフォーマンスした後に慌ただしく夜を走り抜けて、いち大人である教頭先生として何度もスタジオに飛び込んだ夜。
苦しさ故に「命を絶ちたい」と、そう明かした子に10代の心と大人の心、混ぜこぜのまま真剣に向き合って、考えて、咀嚼して、涙まじりにひとりの同じ人間として短く素直な想いを伝えた夜。
同じ夜は二度と無い。
星の数程のそれぞれの夜と心があるけれど、ずっと歩み続ける大人とあの日蓋をした10代のふたりでひとつな隼くんが居るから、今こんなにも10代の子達があなたを心の灯火の様に慕うんじゃないだろうか。
自分に後悔があるからこそ、愛情いっぱいに「謳歌するんだよ」と、そんな意味を伝えるあなたの言葉にいつだって嘘は無い。
偶にふざけ合う同い年みたい、でも背中を押してくれる大人で、互いにラジオの向こう側だけど心を許せる大切な人。彼ら彼女らにとって、きっとあなたはそんな存在だ。
(ちなみに相棒こと坂田さんはね、隼くんが居ないところで「学生時代の2個くらい年下の友達って感じ」とあなたの事を例えてたよ)
後悔も、寂しさも、誇ることも、その素直に生きた証の全部。全部が今あなたを素敵に見せる光の一筋になり得てる気がする。
ねえ、もうすぐ春がくるね。
思い出が無い事が思い出の、まだまだ肌を冷やす時期を過ぎて、もうすぐ蕾が思い切り花開く時期がくるよ。学生時代には戻れねど、これからあなたの春にどんな思い出達が生まれるかな。
もし出来る事ならば、後悔の分これから先何度だって語りたい優しい記憶が残されていきます様に。素直に生きた証にあたたかい春風が吹くと良いな。
そんな事を、静かな春の入口で密かに願ってる。
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