自分以外の全人類が3歳児だったら
小林正観さんの「22世紀への伝言」という本を読み返しまして。
一番うーむなるほだと、唸ったところですね。
世の中は思った通りにいかない。しかし思った通りにいかない、という前提で生きると、思ったことは叶っていく。
矛盾してるようでいて、なんとなくわかります。
思った通りにいかない、とイライラして考えている時は世界は敵、自分にとっての異物なのですね。
しかし、思った通りにいかない、という前提で物事を考えるようになると、世界(の一部)=自身となり、思ったとおりにことが運ぶ、と。
感覚的には、自分の指なら自分で動かせるけど、自分でないものの指は自分では動かせない、という感じでしょうか。
今日も寝床でいろいろこの思想を反芻しておったのですが、よく考えてみると、「思い通りにいかない」ルールがないと、人生ぜんぜん面白くないですね。
アーティストとして成功したい、ビジネスで100億ほしい、思ったら、はいどうぞで100%叶ったら、ぜんぜん張り合いがない。
なんでも思い通りになる、ということは、全能ということです。
全能を、別のありえないシチュエーションでいえば、自分以外の全人類が3歳児だったら。
多分、私は世界最高の学者であり、フットボーラーであり、人格者であり(人におもちゃをゆずれる)、大芸術家であり医者であり、ミュージシャンであり俳優である、、、ということになります。
しかし、それってなんか意味があるのか。
かと言って難易度100%でも生きる気なくしますよね。
そういう意味では、この世は絶妙のゲームバランス、と言えるのではないでしょうか。そこそこ自分の行動が未来に影響するけど、頑張ったから100%報われるわけでもないし、健康に気を使ってても若くて癌になったりもするけど。確率的には、やはり健康に気を使ったほうがいいわけで。
大切な人が死んでしまったりもするけど、全員100歳まで必ず生きる世界じゃないからこそ、相手との時間が希少で愛おしいものになるのかと思います。
そうなると、100%自責って考え方は、かなりしんどい生き方になりますよね。運がいいとか悪いとかしか言いようがない出来事はありますからね、新卒でいきなり会社潰れるとか、橋を通行してたら橋が崩落するとか。
思い通りにはならない、と思いながら、人生をあじわっていきたいですねえ。