拗れる、捻れる、そして揺れる
鬱陶しい。
煩わしい。
面倒臭い。
口癖である。正確に言うならば、書き癖である。いつでもこんな言葉たちを発しているわけではない。SNS上で人間関係について書くとき、たいていこんな言葉が出てくる。
もちろん人と話すのは楽しいし、面白い。僕の基本的な立ち位置はそんなところだ。でも、悶々とする、納得がいかないとどうしても思ってしまうのが人間関係だ。
こちらの言ったことが100%ありのままに伝わって受けて入れてくれたら、なんてことは永遠のテーマなのかもしれない。所詮、無理な話なのかもしれない。ありのままに伝わらないから、拗れるし捻れる。相手の言ったことに納得できず、到底受け入れられないから、拗れるし捻れる。そして、お互いに揺れる。
こういったことがとにもかくにも
鬱陶しいし
煩わしいし
面倒臭い。
ずっと悩むのが嫌だから、いつも僕は諦めてしまう。もういいや、と投げてしまう。このときの心情は正直、複雑だ。「お前がそんなこと言うんなら、別にいいよ。ふざけるな、もう知らん」と思うものの、やはりあれは大人げなかっただろうか、やり過ぎただろうか、と悶々とする。こんなことに思いを馳せるのもめんどくさい。思考がぐるぐると循環する。一晩寝たら、すべて綺麗さっぱり忘れていることもあるが、ただ毎日顔を突き合わせている人だと気まずい。
こういった諸々の心情がすべて簡略化されて、SNS上には「鬱陶しい、煩わしい、面倒臭い」が立て続けに並ぶのである。
なるべくなら人間関係を円滑に、穏やかに、気楽に。でも、たぶん無理だ。僕も未熟だし、いくつになっても相手も未熟だ。僕にも悪いところはいっぱいあるだろうし、相手にもいっぱい悪いところはあるだろう。ちょうどwin-winの逆だ。
伝えたいことは山のようにあるけど、伝え方が下手だし、言葉も不足している。分かっているはずなのに、なかなかできない。
少し話は逸れる。
リアルでもネットでも「拗れる、捻れる」を目にすることがある。
どうしてこの人たちは分かり合えないのだろうといつも思う。でも、ここ最近、身の周りの「拗れる、捻れる」を見て思った。両者は一切、自分の考え方を変えず、相手に歩み寄っていない。お互いが平行線のまま。感情だけが拗れて捻れてしまっている。「私は大人な対応をしている」と主張していても表情は居丈高なままだ。
こんなありさまを見て、もう駄目だなと思う。諦めの境地だ。でも、と思う。他人が争っている様を見て、100%平気ではいられない。多少なりとも揺れてしまう。もしかしたら、他人の醜悪な部分を目に入れるのが嫌なのかもしれない。あんまり争わないでおくれと思う。
とても簡単に言うと、穏やかに笑って過ごしたい。ここまで書いてきて、そんな些末な結論かと思うだろうけど、偽らざる本音だ。でも、たぶんそれが一番難しいということは重々承知している。
僕のSNSから「鬱陶しい、煩わしい、面倒臭い」が少なくなったならば、たぶんそれなりに穏やかに過ごしているのだろうと推測できるけど、たぶんそんな未来はなかなか訪れそうもない。
初めの方で、思考がぐるぐると循環すると書いた。人間関係と同様で、この文章も何が言いたいのかわからなくなってきた。ぐるぐると循環しているだけだ。決してお酒を飲みながら書いているわけではない。正真正銘の素面である。もっと文才のある人が書けば、ずばっと言いたいことを的確に書くんだろうなと悔しく思う。所詮、素人はここまでが限界である。あとはお偉方に任せよう。
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