6 よりよい #神経放射線 #坂本力先生 #滋賀医科大学 #NR懇話会 #寺田一志 #寺田次郎 #関西NR #コロナワクチン #東美菜子 #バイエル #造影剤アレルギー #神戸大学 #滋賀医科大学 #関西医科大学 #京都大学 #大阪大学 #遠山正彌 #白い巨塔 #病理学会

(その6)
JCRニュース256を確認して。

今回は、タダのおまけ。
何故か、僕のブログと内容がかぶったが、放射線科医の勧誘とかの問題。
信州大学の企業秘密など、表面はともかく気にする必要はない。
理由は公開できない内容は気にしても仕方ないし、地域や個人の特有のやり方など、何の参考にもならない。
そういう特殊性の問題は、大事ではあるが、距離を置くべきだ。

そんな冷たい物言いをする僕の意見としては、やる気と才能の掛け算の中で、やる気はないけど、才能がある奴を組織に引きずり込むことだけ。
僕と関西医科大学、あるいは、日本医学放射線学会は、残念な結果に終わりそうだが、坂本力先生の訃報を聞いて、僕の、ホワイトに、放射線科や放射線科の先生が好きだった部分を開放してみたいと思う。

僕と坂本力先生の最初のトークはマジで社会通念の外側。
不適切のレベルで言えば山崎道夫先生なんか、参考にならない。
(今思えば、いつかの、長崎の秋季臨床大会で滋賀医大の先生方と写真を撮ったのを思い出す。)

奈良医大の打田日出夫に、興味もないコイルパッキングの不採算をツッコまれたときより、印象に残っている。
たぶん、ギリシアはアテネのCIRSEで飲んでる席に誘ってもらった。
大阪市大の中村健治先生とご一緒だった。
あと、帝京大学の古井滋先生。
古井先生の、超絶美人の娘さんを目にしながら、同じく、美人で強気の奥さんに、美人過ぎて要らないですと毒づいたのを覚えている。
僕は、無礼で、バカなことを言うのが好きだが、小心者だ。
そのあと、キャリアも婚期もこじらすことになったが、自分を大切にしてくれそうもない美人をねじ伏せる趣味や後悔させる趣味は自分になかった。

坂本先生との初対面での言葉は、所属の、甲賀の部長の件で、やっぱ、引退後の金の問題ですか、と言ったのを覚えている。
よく殴られなかったなと思うが、たぶん、放射線科の知識もIVRの知識もないのに、ましてや英語も怪しいのに、平気で、会場で質問やコメントをやらかしていたのを目の端で見てくれていたからだと思う。

トータルで、5回もお会いしていなかったと思うが、日本にRadiology=放射線科を彼やその弟子よりも定着させたのは多分僕だ。
ディオバン事件その他で、関西医大で、失業して、しょうがなしに、読売新聞、ヨミドクターに10年ほど、コメントを入れまくった。
そんな状況の中で、ラジエーションハウスという作品も生まれ、また、2018年の関東IVR研究会に放り込んだワークフローの演題の通りに、日本の医療は多少は動きつつある。
そして、2023年秋の演題に入れたように、CTやMRIの普及は、全ての医師を、ある面で放射線科医にした。
これは、たぶん、永遠に認められない、僕の功績かもしれない。
無理をしないだけで、僕は仕事と勉強も一生懸命にやった。
時代と上司に合わなかった。

もちろん、僕は、井上明星先生やその他の臨床や研究の化け物に普通の業務で及ぶべくもない。
2015年か、そのへんの、聖マリアンナの中島先生の秋季大会に、欧州から帰って、井上明星先生に、FCバルセロナのボールペンを、イメージインタープリテーション受賞の個人表彰で差し上げたのは良い思い出。
その時の、何かのセッションのトルソー症候群で多発脳梗塞で、山田惠先生に強く出たら、田岡先生と一緒に、後日の関西NRの2次会でお酒を飲ましてくださったのを覚えている。
自分は無茶苦茶な人間なので、寛容な人間には結構おちやすい傾向にある。

とりあえず、50周年のアメリカンクラブは2万円払ってでも参加した方が良かったらしいが、後悔してもしょうがない。
弟子や孫弟子と切磋琢磨するより、自分の老後の金の心配が大事なのもしょうがない。
ただ、言っとくで。
日本であんたの弟子以上に、放射線科を有名にしたのも、新型コロナとコロナワクチンの趨勢も予測したのも、このワイや。
縁があったら、頭に寝かせてあるIVRデバイスの一つの名前は、坂本力にちなんだ名前にしたるわ。
おっちゃんの名前の読み方もまだ聞いてなかったのがひどく残念やわ。
2024年5月3日23時39分。 
放射線科のファンタジスタ坂本轍平ことスペイン代表の寺田次郎 拝

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