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第76回、#JFA #サッカードクターセミナー 8「#鹿島アントラーズ #内田篤人 と #順天堂大学 #池田浩 先生のディナーショー」

第76回、#サッカードクターセミナー


8「内田篤人と池田浩先生のディナーショー」
あの症例は、おそらく、保存で、ある程度行って、どこかで、手術して、リハビリにいそしむべきだったのだろうと思う。

具体的には、ブラジルワールドカップ終了時に手術。
それでもだめだったかもしれないが、おそらく、PRPとリハビリで、主要な筋肉は戻ったが、マイナーな筋肉の萎縮や崩壊も含めて、肉体だけでなく、技術や戦術的な制限も含めて、本当の意味でのリハビリが必要だったのではないかと思う。

膝蓋腱の炎症と石灰化は、マイナーな損傷をかばうための亜急性あるいは慢性の変化であり、そのため、整形外科医でもないにかかわらず、ロシアワールドカップを目指すなら、保存でいいと思った。
しかし、あの後考え直して、手術で治るなら手術だし、保存療法にしても、膝の負担を減らすようなプレースタイルや体の使い方を考えるべきだと思った。

内田選手は、診断、治療、だけでなく、よりそう、ドクターが欲しいと言っていた。
あるいは、他の選手もそう思っているかもしれない。
医療の闇を知る僕は、心の底からチーム制で対応しないと無理だと思った。

ドライに、理屈で診断治療を考える医師と選手に寄り添っておたおたしてくれる医師は別物。
僕は元々マイナー外科の手先の才能を持ってタフな昭和の医療社会で諦め、トンデモ家庭出身ゆえに精神科志望だったが、現実を知って、放射線科に行って、それでも失敗した。
一方で、最低限の放射線科診療の能力と、医療の内外の様々な知識を持っているのでそう思う。

内田が岡田監督の前で大怪我した理由は、なんとなくわかるが、あえて伏せておく。
サッカーを取り巻く様々な勘違いの無責任のせいだが、そうではないことになっている。
一方で、恵まれたセンスとサッカー選手にしては高い学力とスピード系の身体能力の選手が、自分を騙しながら、世界に出て行って、頑張ったことだけは伝わってきた。

実は、東日本大震災の直後のDFBポカール(ドイツカップ)決勝のベルリンに僕はいた。
たしか、勝谷洋文ぽい奴もそこにいた気がした。
ラウールゴンザレスに圧倒された。
ポストに降りるタイミングやターンが秀逸。
僕の直感を裏付けるように、シャルケのファンの半数は、ラウールのシャツを着ていた。
控えにされ、出場後も、ちょっと守備の穴。
だから、本当に主力と思えるようになったのはいつですかと聞いた。
3か月はお客さん。

代理人が決めた移籍先でわかるように、根性でなんとかなる、アディダスの差配のあるブンデスリーガの世界。
その中で、強気で必死に戦って、怪我で、ブラジルワールドカップも頑張って、それからの怪我の悪化で緊張感が切れたのだろう。
一方で、その失言で、サッカー界から追い出すのはもったいない気もする。

指導者としても、大成しない気もする。
理由は簡単で、そもそも、JFAとアディダスの算盤で踊った快速サイドバックなんて、多くの若者のロールモデルではないから。
また、カンで育った天才で、下部を経験していないのも、違う意味でマイナス。
一方で、普通の指導者はあふれているので、置き所を大事にすればいいのではないかと思う。

(メモ8)
寺田 次郎 に
1日 ·
プライバシー設定: 公開
「#第76回サッカードクターセミナー。」
#内田篤人 、14分遅れで、11時39分スタート。
池田浩先生と対談形式。
進学できるように、進学校の清水東。
早稲田行きたかったが、卒後7チームのオファーで、大学後のオファーの計算で、入団。
母泣く。
高卒デビューも、身体ができてなかったと述懐。

南アフリカワールドカップで出場できない初挫折。
岡崎慎司、中村俊輔と一緒に。
正直辛かった。
対戦相手の係になった時に、少し諦めた。
本当は、競争してでも、出番を取りに行かないと行かなかった。
そこに後悔。
W杯の前にシャルケとこっそり軽く契約していた。
出場するためにも挑戦した。

親が新聞で知って泣いた。
秋にレギュラー定着。
海外で成功するコツは根性はないと話にならない。
ローマ、ウィーン、シャルケ。
代理人がシャルケに決める。
大怪我は岡田武史の目の前で。
3-0で勝っているのに見返したくて、ドリブル中。
吉田麻也もMCLをやった。
調子いい時に怪我は多い。

理由は?
簡単だと思うけど、皆、知らないようだ。
ハムストリングの左右の比較写真。
右の外側の腱がない。
ブラジルワールドカップの4か月前。
折り返し電話が、池田浩先生の財布を苦しめる。
オペすると間に合わないので、PRP。
長谷部、マヤ、打田が離脱中。
膝蓋靭帯炎の併発がきつかった。

そこから、膝が悪くなった。
急性期損傷の慢性期損傷への転化。
直前合宿がハードで、メディア担当さえもしんどい感じと池田先生。
3人ともぎりぎり。
ワールドカップ3試合でて、その後もブンデスでも前期のベストイレブン。
しかし、翌年に膝蓋腱の骨化。
手術するしないが半々の意見。
僕は保存派。

2018年目指すなら、手術という日本人の大半。
僕は、メカニズムから、保存の方が良いと思った。
手術して、膝の前の脂肪のあたりが痛くて、レッグカールができない。
PRPも効かない。
2年たってドクターショッピング。
医療不信になった。
言うことが良く変わる医者が嫌。
計画性のない医者が嫌。

他人の意見も上げたうえで、本人で選ばせてほしい。
それで、ロシアワールドカップを目指して、ウニオンベルリンに移籍して、鹿島アントラーズに移籍。
某GKの一言で、ロシアを諦めた。
それで、カタールを目指さず、引退。
2年の間に、運動能力が落ちた体感がきつかった。
J2やJ3を舐めて移籍も嫌。

いま、子供の送り迎えが一番幸せ。
選手からすれば、良い診断、選手の身になる、それから、仲良くなって、一緒の時間を密に過ごしてほしい。
実は、仕事はシビアな池田先生。
たまに、融通利かせてほしい。
高校選手権を軽視する発言も、言い換えれば、プロ志向が若くしてあったということ。

アンダーの遠征で宿題溜まっているのに、移動時間も勉強しなかったね。
授業中は回復タイム。
しょうがない。
親に言われて辞めるくらいなら、プロにはなれない。
質問、シャルケで3か月は必死、1年で慣れて、2年目からは余裕。
言葉の壁なんか言い訳や監督のフォロー。
良い選手は使われると思う。

ビーチのヴェルディのシャツをいじられた。
昨日負けたね。
アビスパですけど前回の開催でもらったので、と返す。
過去に、体調不良の情報が監督にばれた経験から、ボルタレンやロキソニンは自前で持っている。
シーズン中の歯痛はシャルケで罰金。
最後に救えなくても寄り添ってあげてください、と。

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