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北海道の廃線跡探訪 第113回 深名線(1/6)深川~多度志間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪 第113回深名しんめいその1 深川~多度志たどしです。

深名線は、平地では農地化されて路盤の痕跡がなくなっているところが多いですが、山間部はほとんど放置状態です。しかし、並行道路がないため接近困難な区間があります。
橋梁は、保存されている第3雨竜川うりゅうがわ橋梁以外は撤去済みです。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.深名線小史

深名線の歴史は深川方の雨竜線から始まる。
雨竜線は1922(大正11)年着工、まず1924年10月25日深川~多度志間が開業している。1926年11月10日鷹泊たかどまり、1929(昭和4)年11月8日幌加内ほろかないと小刻みに延長、1931年9月15日には添牛内そえうしないに達し10月10日幌加内線と改称、翌年10月25日朱鞠内しゅまりないまで全通した

名寄方は1937年11月10日、名雨めいう線として名寄~初茶志内はっちゃしない(改称/天塩弥生てしおやよい)間が開業し、1941年10月10日には朱鞠内で幌加内線に接続すると同時に、深川~名寄間が深名線と改称されている。

戦後は林業などの産業衰退による過疎化とモータリゼーションの進展で、国鉄赤字ローカル線ワースト10の常連だった。
それでも廃止にならなかったのは、沿線が名うての豪雪地帯だったこと、朱鞠内~名寄間の並行道路が未整備だったことによる。
JR北海道に引き継がれたが、道路整備が完了したため1995(平成7)年9月4日廃止された

3.深川~円山まるやま

1/5万地形図「深川」昭和55年第2回編集に加筆
①深川駅舎 2009年5月撮影

函館本線深川は石炭列車の賑わいも今はなく、側線も撤去され、必要最低限の設備しかない。
深名線は駅本屋反対側の島式ホームに発着していた。
そのホーム自体は残り、現在は元の5番線が6番線となり、今は留萌に行かなくなった留萌本線の列車が発着し、旧6番線の線路は撤去されている

①深名線が発着していた旧6番線 2017年7月撮影
①同 現6番線にはちょうど留萌本線4922Dが到着 まだそれなりに乗客はあった 2009年5月撮影

かつて機関庫などの施設があった構内は、JR北海道バスの車庫や駐車場となっている。

深川を出た深名線は、しばらく函館本線と並行し、路盤には函館本線の架線柱が建っているところもあるが、1kmの距離標が立っていた

②一已6丁目線踏切より深川方を望む 写真中央が深名線の路盤跡 2009年5月撮影
③1㎞の距離標 2009年5月撮影

大正用水路には、ガーダー橋がそのまま残っている

④大正用水路橋梁 2017年7月撮影

函館本線と離れると、わずかに路盤が残るが、踏切の先は耕地整理で水田となり、痕跡はなくなっている

⑤函館本線と離れていく路盤 深川方を望む 2009年5月撮影
1/5万地形図「深川」昭和55年第2回編集に加筆

一已いちゃんの四番線と八丁目線の十字路にはちょうど踏切もあったため道路が曲がっていたが、直線化されている。
その手前の堺川には、深名線の橋があったあたりに導水管のようなものが架かっているが、鉄道橋の跡はなかった

⑥堺川から円山方を望む 左の丘が丸山 2017年7月撮影

丘(「丸山」。駅名と漢字が違う)が近づくと、堺川に沿って路盤が現れる

⑦丸山のふもとで現れる路盤 2017年7月撮影

多度志へ抜ける道道875号の踏切の附近は直線化され、路盤は東側に移る。一部は作業道として利用されているが、用水路の橋は撤去されており、ヤブとなっているところが多い。

⑧作業道となった路盤 円山方を望む 2017年7月撮影

円山は1955年8月、宇摩・下幌成・新成生・上幌加内・下政和・大曲・共栄と同時に設置された仮乗降場だった

JR北海道発足時,、駅に昇格したものの、「朝礼台」といわれた簡素なホームと待合室という実態は変わらなかった。駅跡は田畑のなかの空き地になり、痕跡はなくなっている

⑨円山駅跡 2009年5月撮影

4.円山~多度志

1/5万地形図「深川」昭和55年第2回編集に加筆

円山を出ると途中までは作業道となっているが、やがてササが密生するヤブとなる。
深名線は最初の峠越え、多度志トンネルへ向け、20‰の勾配を上っていく。

⑩作業道となった路盤 円山方を望む 2017年7月撮影

多度志トンネルの円山方ポータルは、路盤を一部利用した林道の突き当たりにあり、倉庫にでも使われたものか、小屋根と入口がついている。
林道は今では廃道状態となっている。

⑪多度志トンネルの円山方ポータル 2017年7月撮影(タイトル写真は2009年5月撮影)
⑪多度志トンネル手前から円山方を望む 以前は林道だった区間 2017年7月撮影

多度志トンネルからは20‰の下りとなる。
上多度志方のポータルも道道のトンネルを出た脇の堀割にあり、大正時代につくられた、風格のある石積みのポータルは土嚢でふさがれている。

⑫多度志トンネルの上多度志方ポータル 2009年5月撮影
1/5万地形図「深川」昭和55年第2回編集に加筆

道道からは築堤が見え、峠を下りたところにあった多度志川橋梁は、つけかえられた新しい道路橋のあたりとなり、橋の痕跡はなく前後の築堤だけになっている

⑬上多度志方から多度志川橋梁への築堤を望む 2009年5月撮影

道道98号とクロス、西へ曲がったところにあった上多度志駅跡には農業倉庫が残るだけ

⑭上多度志駅跡 2009年5月撮影
営業当時の上多度志駅 右の建物が駅舎 後ろの倉庫はそのまま残る 1994年5月撮影

上多度志からの路盤は農道に整備されているところもあり、廃止から20年以上経った今でもバラストが残っていた(あとから整備したのかもしれないが)。
コンクリート橋も架かっていたが、新しく見えるうえ、橋台も鉄道のものらしくなかったので、架け替えたものと思える。
多度志の手前で大きく90度カーブして、北へ向かう。

⑮作業道に転用された路盤 多度志方を望む 2017年7月撮影
⑯多度志手前で大きくカーブする路盤 バラスト?が残る 2017年7月撮影

大きな駅舎があった多度志には、貨物ホームが残っているが、宇摩うま方には太陽光発電パネルが並んでいる。ほかはすべて撤去済で、名寄方には鉄塔がそびえている。

⑰多度志駅跡に残る貨物ホーム 2023年9月撮影
⑰以前は全体が見えていた貨物ホーム 2009年5月撮影
営業当時の多度志駅舎 1994年5月撮影

駅のまわりには、大きな農業倉庫が何棟も建ち、かつての繁栄が偲ばれるが、駅前通りに並ぶ商店はすべて閉まっていた。

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださりありがとうございました。

次回は、多度志から沼牛ぬまうし向かいます。

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