北海道の廃線跡探訪 第26回 羽幌線(2/7)臼谷~鬼鹿間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第26回 羽幌線留萠~幌延間その2 臼谷~鬼鹿間です。
羽幌線は小平を出ると、海岸から内陸部へと入り、最初のトンネル小平蘂トンネルがあります。
花岡を経て、大椴子山トンネルと続きます。
単調な風景の海岸沿いから一転して、トンネルなど見どころのある区間になります。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.臼谷~花岡
臼谷の先もあいかわらず、国道と海岸に沿っているが、国道拡幅で路盤が消えているところもある。
小平市街では路盤は道路化され、駅跡は小平中央公園となっている。
沿革を書いた簡単な解説板があり、それによると廃止後1年半で公園化されている。
あたりには大きな農業倉庫や農協もあり、駅前通りにはかつての雰囲気が残っている。
小平を出てすぐの小平蘂川橋梁は痕跡なく、渡った先の道道126号の跨線橋もなくなっていたが、丘のすそに雪崩防止柵が残っていた。
丘をまわると小平蘂トンネル(292m)に入り、ここから大椴まで内陸へ迂回する。
トンネル内部はまだしっかりしているが、当然のことながら真っ暗。
花岡方は湿地帯になり、黄色の可憐な花をつけたヤチブキが群生していた。
花岡の手前の第1・第2オンネトマリ川橋梁には、いずれも橋台が残っている。
3.花岡~大椴
1956(昭和31)年8月設置の花岡仮乗降場は道路の脇、やはり橋台が残る第3オンネトマリ川橋梁の手前だが、ここにも何もない。
花岡から大椴子山トンネル(410m)へ向けて再び山へ入り、路盤はトンネルの手前まで作業道として使われている。
作業道と分かれた路盤はヤブとなり、切り通しになったつきあたりに大椴子山トンネルがある。
キャップランプと懐中電灯を頼りに入ると、内部はバラストもそのままなので歩きづらい。
途中には、ブルーシートや銀色の断熱シートが路盤いっぱいに敷かれたところもあり、なにやら不気味。壁面には上から落ちてきたのか、ところどころに土砂が円錐状に堆積している。
少しの間は前後が完全な闇となるので、大椴方の出口の明かりが見えたときはホッとした。ずいぶん長く感じたが、時計を確認すると10分もかかっていなかった。
花岡方同様、切り通しとなった大椴方は湿地帯となり、ヤチブキが満開だった。
路盤には木が何本も生えているが、それほど歩きにくそうでもない。しかし、少し行くと、たちまち背の高いササが立ちはだかっていた。
大椴子山トンネルを出た羽幌線は、丘に沿って農地へ出、橋台が残る大椴子川橋梁を渡り、道道とクロスして北側に移る。
道道と並行する区間に落石止め擁壁があった。道路用にしては離れすぎているので、銘板を見ると、「落石止擁壁 小平大椴間 施工昭和53年9月」とあり、羽幌線のものと確認できた。
大椴は小平村農協大椴支所だった建物と倉庫があるが、駅の痕跡はなにもなく、濃いヤブに覆われている。
あたりには農家が数軒あるだけで、1年だけだったにせよ、終点だったとはとても思えない。
4.大椴~鬼鹿
大椴の先で直角に曲がると、再び日本海沿岸に出て国道に並行する。
小椴子川には橋台が残り、打ち捨てられた路盤と丘上の風力発電の巨大な風車とが好対照をなしている。
川を渡った先の路盤は、NTTの光アクセスネットワーク留萌実験場として使われているが、1956年5月設置された富岡仮乗降場の跡はない。
あいかわらず路盤は国道と並行し、秀浦集落にある、蛇ノ目沢川などに小さなコンクリート橋や橋台が残っているのが見える。
やがて路盤は国道より一段高くなり、道の駅「おびら鰊番屋」の裏手を通る。
道の駅の駐車場から路盤に上ると、溝橋もそのまま残っていた。
ここから鬼鹿までそのままの高さで進み、番屋沢川にもポンオニウシュカッペ川橋梁の橋台が残っている。
鬼鹿の手前の切り通しは残っているが、鬼鹿には町営住宅が建ち並び、駅を偲ばせるものはない。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は鬼鹿から苫前へ向かいます。