世の中の不登校と呼ばれる子たちの、未来への途中
子が不登校になり、20年続けていた仕事を休んだこの半年という期間。
「あたりまえ」って無いな。
「ふつう」ってなんだ?
そんなことを考える時間。
自分自身をフォーマットし、家族の新しい意識を、共に作っていく時間。
仕事の社会で出会った人。
子どもとの繋がりで出会った人。
noteの世界で出会った人。
そして、離れていった人。
この半年で、たくさんの出会いと一旦のお別れがあった。
noterさんとの出会いは、実際会っていないにも関わらず、記事やコメント上でたくさん共感したし、たくさん涙を流させてもらって、自身の頭と心を整理してきた。
そんな中で、記事を書かなくなったnoterさんもいれば、書けなくなって読み専になった方もいるのでしょうし、まったく見ることもできなくなった方もいるのだろう。
その気持ちも、どの気持ちも、わかる。
解き放たれた理由が、輝かしい別な世界へのスタートの方もいれば、
一旦全てから離れたくなった、そんな人もいるだろうと感じてチクッともする。
本当に、たくさんの、それぞれの人生が存在する。
私はと言うと、一旦【自己紹介記事】を作成したことで、心の区切りを付けた。
さあ、ここからどう生きていこう。
これはもう、一般的とは言われない道をゆくのか?
いやしかし、「不登校児増加・教職員減少」そんな学校システムの変容の最中にいる、私たち家族。
もしかしたらそう遠くない未来に、こっち側が一般的になっているかもしれない。
もはや『一般的』なんて言葉もなく、答えもない、あたりまえがない世界。
それこそが、今のこの時代そのものが求めている『多様性』という世界。
ニコニコ笑って、毎日を笑顔で過ごしている小1娘の学校に行かない日常を目の前で見ていると、この子の未来は楽しいことで満ち溢れているように見える。
というか、そのようにしか見えない(笑)
新しい価値観。
私にはなかなか得られなかったもの。
素晴らしく輝いて見える✨
もうキラッキラですよ。
「大人になったときに大変だから」その言葉でくくれないほどに、キラキラした瞳😝
(この可愛い笑顔のまま大きくしていったらどうなるんだろう)
そんなことを始点にして考えていったら、どんな道が開けるんだろう?
仕事を生きがいと思って日々生きていた私が、一旦立ち止まり。
子の姿をはっきりと見る機会をくれたこの時間。
自分という姿の見直しを与えてもらったことには、必ず意味がある。
そして、すべての人間の人生という時間には限りがある。
気持ちを下げて生きているには、もったいなく感じてきた。
私はいま、子ども達に最高に楽しい機会をもらった。
「ふつう」でいては見ることができなかった、その景色だ。
この子達が生きていく。
その途中。
子の未来というとても壮大な映画を、目の前の大スクリーンで観られるわけだ。
やっぱりそのためにも、自分の未来も健康で元気で、上を向いた明るい気持ちで、その映画を観ていたい。