遺伝子は人倫に反するか

 才分、容姿、障害から、家格や資産まで。自然に属しようが、社会に属しようが、遺伝子の設計に準じた人間形態はおよそ倫理的なものではない。なぜなら、倫理とは自分を犠牲にすることだが、遺伝子の法則は支配することだからだ。これは発ガン理論においてもそうだ。遺伝子の発ガン指令は王命のようなもので、どれだけ細胞や免疫力を強化しようが、太刀打ちできない。
 現代社会の思潮は、個々の死生観に及ぶまで、遺伝子の絶対主権を容認している。現代人の(特に日本人のような)即物主義の行き着く先は、遺伝子崇拝である。この自然法則を受け入れ、そのままに生を全うすること。これを味わい尽くすこと、これが人間の定めとされる。人間を語り尽くすには遺伝子で十分というわけだ。
 だからこそ、身体の「形態(ゲシュタルト)」は幻想の世界に突き落とされる。そして幻想であるから、それは偶像化され、いじくり回される。遺伝子本位があるからこそ、皮膚への愛好がここでは生じているのだ。

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