放射線神学
放射線は造物者そのものであるといっていいかもしれない。目には見えないが人体に影響を与える。その影響は生涯消えない。臭気も触感もない。もしかしたら、人間の限界寿命は自然放射線が決定しているとすら考えられるほどだ。自然放射線の避けがたい影響と蓄積が、人間が130歳になるのを阻んでいる。
しかし、さらに寿命を短縮する放射線がある。それは人工放射線である。この加工物はその集中性によって、人体に多大な損傷を加える。急性障害から晩期障害まで、人工放射線を受けることは自然放射線とは比べ物にならないリスクとなる。自然放射線が限界寿命を定めているとすれば、人工放射線の蓄積はその最大寿命の削減を意味する。
その自然反応は、言わば造物者か悪魔かどちらかとの契約の結果である。触れてはならないものに触れた代価は命である。しかも、この寿命短縮は人知でははかりしれない影響を及ぼす。老化現象や精神不安ですら、人工放射線の反応として人体に表れているかもしれない。胸部レントゲンの蓄積が、すべての病や老化の原因であるかもしれないのが、放射線の可能性である。いずれにせよ、人為的に作出された放射線の不均衡性は、そのまま人体への不均衡性を何らかの形で誘発することは確かである。
人間が放射線を統制し、それを軍事兵器や医療手段へと転用することは、人体にとって神の怒りをかき立てるか、あるいは悪魔との契約にサインすることを意味する。近代世界という人間中心主義が放射線に手をつけたのはある意味では必然であり、それによって人間は多大な代償と犠牲を払わねばならなくなった。
放射線は神学的メタファーとして、「明視」可能である。そこに、この世界の救いがたさや、人間の愚かさが表出されている。放射線の禁忌に触れることは、この世界を地獄に化すことである。人間存在は放射線を支配下に置くことによって、自らの呪われた運命を招来した。人工ガンの凄絶な苦痛は、人間が人間を殺すという形態を演じさせられる、という神による怒りの脚本である。
人工放射線から脱化すれば、人体は自然放射線が規定する限界寿命へと必ず回復できる。だが、歴史という人間の構造物は、放射線官権を手放さない。放射線への人工投射は今日、ますます人体に犠牲を強いており、それは社会の総発ガンという目的へと接近している。自然発ガンから人工発ガンへの変転により、あらゆる人体実験が合法化されていくのだ。この歴史的進展もまた、放射線神学のカテゴリーを構成するものである。
近代世界は、残念ながら人体実験によってしか神と関係を結ぶことができない。どれだけの道徳的な反省や反復が生じても、生け贄の数を減らすことは不可能である。