発ガンが運の問題と誤認されるのは、医療放射線の発ガン効果が社会的に黙殺されているからだ
理論的にはガンの発生メカニズムはある程度理解されている。DNAの構成が変化することにより、それに則した細胞が生まれてしまう。DNAの変化は染色体異常という形で分配され、それは生涯にわたる腫瘍リスクとして細胞に刻まれる。
つまり、大元の脚本を変えなければ腫瘍発生の通路を防ぐことができる。この時点で防ガン戦略は確立不可能ではない。そしてこの骨子は、DNAを最高レベルで直接的また散乱的に変化させる「人工放射線」を回避することである。
睡眠・運動不足、食品添加物、糖質多食、喫煙、アルコール、ストレスなどの因子は、放射線ほどの明確かつ高頻度の発ガン機序を持たないことは、科学的に明らかであろう。危険な放射線を完全に回避できているという戦略があって、初めて生活習慣の改善もまた意味を持つと言っていいだろう。
確かに、放射線は遺伝子の基本構造に影響を与え、生活習慣は基本構造に則した細胞に影響を与える、と画然と分かつことも難しいかもしれない。しかし二動原体染色体のような異常は、自然放射線蓄積においても見られるので、自然放射線のような遅緩被曝が、生活習慣病による自然発ガンの決定因である可能性もぬぐいきれない。
ともあれ、人工放射線のほうが生活習慣よりも、遺伝子に多大に作用することは蓋然的に正しいと言える。しかし、この理解を真っ向から否定したり看過するのは困難であるはずだが、それが許されている分野がある。
現代医療である。その際立った特徴は、発ガンの根因を生活習慣病と規定するドグマによって、遺伝子秩序において最もリスクとなる物質から人々の目をそらさせることにある。
このドグマが政治的な意味しか持たないのは明白だ。なぜなら、このドグマを持つ世界は、最も危険な放射線を人体に投射しているからである。しかも、生活習慣病のドグマに依拠する形で、より高次の明確な発ガン因子である放射線によって検査する、という全く逆説的な現象がそこでは生じている。これは、ガン理論においては寿命の短縮に結実することは言うまでもない。
いまや生活習慣病のドグマは社会全体を支配しており、どれだけ放射線科学が医療放射線の高程度の発ガン性を明らかにしても、人々の目耳にはドグマしかうつらない。我々はここに、現代医療が政治に属する世界であることを洞察できる。「なにもしない」という治癒法が許されない世界、それが現代医療である。
社会の全人体に対して日夜、医療放射線は浴びせられている。それは発ガンの種が見境なくばらまかれているということである。しかし、人々は明視できない。仮に見えたとしても、医療放射線の仕業であるなどと信じることができない。
芸能人が30代で乳ガンで亡くなる。誰も原因を分析しない。しかし、しなくとも分かることだ。彼女がマンモグラフィーの受診履歴を持っていたことは。だが、全てはうやむやにされる。彼女は運が悪かった、で終わる。
医療放射線の殺戮は、生命にとどまらず、人々の精神をも対象にする。最大の発ガン物質を、ガンを無くすために受け入れるというのは、もはやその社会が狂気に陥っているとしか表現できない。誰もが狂気の先棒をかついでいるのだ。
我々日本人はまだ、狂信の国に生きている。狂信は常に生け贄を必要とする。命の尊厳について真剣に考えるならば、人々が現代医療と対決するのは避けられない宿命である。現代医療の勝利はユートピアではなく、ディストピアの実現である。
しかし、病気は神にしか治せない、これこそがユートピアの理性なのである。