先駆的覚悟性たちよ、さらば
高名な大学教授がご丁寧に用意してくれたこの概念が、いざ死地を前にしたらなんと無力なことか。現存在になるくらいなら、完全な狂者になることのほうがまだ夢と救いがある。先駆的覚悟性、残念ながらこれは大便を食する喜びすら与えてくれない。実にもったいぶった、未来ある青年だまし用の文句である。
ところが他方、いざ大便を口にしようとすると、例の連中が近づいてくる。「あなたの体の病と同じくらい、その精神のなかにある腫瘍は問題だ。そんなみっともない真似はせずに、私たちの薬を飲んで、肉体の病を全うしなさい」。そう、先駆的覚悟性の新手の猛者、別名、精神科医という徒輩だ。
アルトーは精神科医を前にしたら自殺したくなると言った。それはそうだ。なぜなら、自殺をさせないというのが、精神科医たちの黒光りする任務だからだ。最大の生の苦痛を患者に強いても、自殺させなければ、彼らにとってはミッションクリアだ。治癒症例として、レポートに載せることができるだろう。「終末期患者Yはこうして自殺を放棄し、我々に見守られながら、ベッドの上で天寿を全うした。精神腫瘍の治療のほうは、根治することに成功したのである」。
吐き気を催させる偽善と冷酷さがここにはあり、先駆的覚悟性の横取りが見事に表現されている。自殺をさせず、死を直視することを無理強いし、その実、他人の死を収穫することを目論むこと。そして精神医学は宗教の後継者としての資格を得るわけだ。治癒不可能な肉体の病を持つ患者は、最後にはすべてこの黒魔術師たちの前で告解させられる。
これは他者への絶対的支配という意味では、一つの政治劇である。知性が他人を監禁する収容所でしかないことの証拠である。それに比べれば、自殺や大便食は、一体どれ程の輝かしい突破口を築いているだろうか。精神の腫瘍への意識の傾倒は、肉体の腫瘍存在を忘れさせてくれる唯一の希望と言って良いくらいだ。大国家戦争や全裸での野垂れ死になども、きっと同じ価値を持つことだろう。
先駆的覚悟性の牢獄を突破し、狂乱の表現型によって、死と生の境目を封じろ。黒魔術師たちがそのために協力できることがあるとすれば、致死量の薬物を提供する事だけだ。ウェルテルの友人がそっとピストルを手渡したように。