CTファシズム論
人工放射線を受けていない人間が発ガンするときは、自然放射線の蓄積が発ガンに影響している。しかしそれは低線量率であるがゆえに、発ガンに至る染色体異常頻度は老齢期にしか表れず、個体の天寿が維持される可能性が高い。
一方、人工放射線は発ガンを加速させることにより寿命を短縮化する。しかし、慢性被曝の場合であれば低速であり、自然放射線影響に近い発ガン性を表すが、医療放射線のような高線量率であれば、発ガンは高速化するだろう。
線量率にはある程度しきい値があるらしく、それは疫学データやマウス実験に依存する。一回の線量が胸部レントゲンくらいであれば、発ガン性は自然放射線影響から大きく離れない。しかし、レントゲンを毎日受ければ自然放射線影響を超過する。年に数回なら、線量率では年間の自然放射線影響を超えても、総量では下回るか同等かである。したがってよほどの頻回でなければ、胸部レントゲンは天寿を操作しないのかもしれない。
他方、CT検査は事情が異なる。それは、線量・線量率ともに、自然放射線を大きく引き離す。特に線量率では、数年分の自然放射線量を一瞬で浴びることになり、腫瘍発生と寿命短縮に大きく寄与することはほぼ疑い得ない。
放射線発ガンの問題は、今や医療放射線に局限されたと言っていい。そしてそれは、鮮明な画像を得られる高精度CTの問題となる。社会におけるCT検査が、もし残余命の長い年齢層にまで更に無原則に拡充されれば、今後、確実に平均寿命は低下するだろうことが予測される。
医療放射線の蓄積における人体の染色体異常係数が、一社会における早期ガン死者の係数に重なるわけである。そしてそれは、自然放射線と自然発ガンを基底にしている。
人間に対する自然放射線の影響はおおかた常に一定だが(高線量地域はそうならないかもしれないが)、これを基にして人工放射線による線量と線量率の変数が、発ガン加速と寿命短縮を決めることになるのである。
しかしこれまでの考察は、確率の問題を無視している。そこでは発ガンの分子メカニズムの謎があり、また個体の感受性や環境因子のベースも交絡することを但し書きしなければならない。CTで発ガンしない者もいれば、レントゲンで発ガンする者もいるかもしれない。しかしいずれにせよ、医療放射線のない世界のほうが、社会の発ガン可能性がより低いのは間違いないだろう。
最後に、日本の長寿化は胸部レントゲンと結核の関係にとどめられていたからであって、これがCTスクリーニングとガンの関係に置換されることで、逆に寿命が短縮化されてしまったと言い添えたい。たとえば、無視すべき結節をわざわざCTが拾い、放射線発ガンをタブー視する医療利権や、CTの高発ガン性に無知・無関心な医療者、はたまたガン患者の観察を趣味とする腫瘍内科医とかいうケダモノたちが、医療放射線の更なる躊躇なき投射によって発ガンに拍車をかける。このような医療ファシズムによって、病におびえる患者たちが知らず知らずガン化され、その代わりに早期ガンの治癒率や発見率の功績だけが高まり、もてはやされる。
本来放置していれば、人体の寿命の短縮を招かないはずなのに、早い段階で医療被曝検査を施し、わざわざ被検者たちの寿命をそぎおとす。この政治的とも言える寿命短縮メカニズムの可能性は、いよいよ社会的に否定できない状況になってきており、その第一プロセスが医療放射線であることも、もはや疑い得なくなりつつある。
そこで気になるのは、このような多大な人命犠牲によって、この国家社会が一体なんの見返りを得ようとしているのか、という点である。若年層に医療放射線をぶちこんでガン化させても、せいぜい巻き上げられるのは、医療界が潤うくらいの暫時的な小金なのは目に見えているだろう。次は外国人観光客のガン化でも企図しているのだろうか。確かにがんセンターは、人権理念を標榜している。
しかし、正義が求めるのは人権ではなく、人命である。外国人たちは日本人とは違って、きっとがんセンターには騙されないだろう。彼らは自分の余命や健康よりも、もっと高邁な信念を信じているからだ。日本の医療には正義もくそもないことを、彼らはすぐさま察知するだろう。