人力加工と自然循環

 自然はミクロの世界では摩擦的でも、マクロの世界では調和的である。自然科学の世界観の最大の収穫は、この統一像を提供したことにある。近代科学的な方法とはこのような再帰性への洞察であり、ひいては社会思想や哲学においても、この洞察こそが科学との交点を用意している。アダム・スミスの経済学でも、スピノザの神秘的な思想でも、再帰的な原理をそのまま描出していると言っていい。
 
 しかし自然であれ社会であれ、再帰的な構造を解読するためには、論理的な分析が必要になる。自然科学における作用・反作用や、エントロピー拡大・収束。社会科学における需給均衡の原理や、政教相対の法則。このような現象の構造が解明されればされるほど、その再帰的な原理から技術や知識が開明され、人力加工による不安定な誘導が生じる。

 蒸気機関、人工放射線、発電・変圧機や、徴税人、ハイパワードマネー、国際為替など。これらの人力加工は、すべて自然力の改ざんであり、その集中性や拘束性は、常に資源の浪費や偏在を、いち人体から社会に至るまで行き渡らせる。この反動として、大気汚染や公害から、恐慌や戦争までが後から後から生じることになる。
 
 むろん自然循環のありのままであれば、万端うまくいくという確証はない。しかしながら、人力加工がもたらすような、超絶的な悲劇をもたらすにまでは至らない。自然循環は、常に長期的な生存のための安定を保っているのだ。

 自然界は核弾頭を作らない。この例だけで、人力が人体そのものにとって最大の危険であることを了知できる。しかし、こうも言える。人体のこのような断裂をしつらえたのもまた、自然の運命であり、神の計画であると。

いいなと思ったら応援しよう!