当たり前の健康、当たり前の生活。それらがずいぶん前のことに思える
病気する前でも、何者かになろうと思っていたわけではなかった。ただ、自分が暗々裏に書きためたことをまとめたいと思っていた。しかし、まるでそこに一抹の嘘が混じっていたことを見抜いていたように、天は私に艱難を強いた。つらつら思い返せば、何かの我欲があったのかもしれない。しかし、自責は具体的な対象を掘り起こせない。それほどまでに、あの時間の境目は深い。
病難を得た人、命をねらわれる羽目になった人、失職してしまった人。彼らみたいな人にとって、人生はそれ以前とそれ以後に分断される。前者には生活があり、後者には死しかない。しかも、生の中にある死だ。時間は加速し、その含蓄は何もない。ただ、終末が来るのを慄然として待つしかない。
パスカルやキルケゴールもきっとこのような心情だったのだろう。