イエスをキリストと思わないから、イエスに共感する

 彼の犠牲者としての顛末に共感する。彼が自作自演をやったというのが、公式のキリスト教の見解だろうが、しかし彼は人類ではなく、造物主の罪をも連想させる犠牲者である。 
 彼の苦しい十字架が、あらかじめ設定された作劇、つまり人類の罪解消の浄化装置ならば、あまりにも没趣味な演劇に、異教徒の私の目には見える。彼が救世主ではなく、最もあわれで不運な犠牲者に思われるから、私には彼の純粋な魂が神聖に感じられる。
 日本人の判官贔屓の習性のせいだろうか? 

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