世界平和と世界戦争

 自明の理だが、両者は表裏一体である。各領域が接触するということは、常に闘争の危険を孕む。そこに平和の作用が介するとすれば、ただ分業による経済改善だけだ。しかし利益が平分されることはなく、最後には資源の奪い合いの闘争が世界的な形で発現する。
 
 暴力と経済は、領域の結合と崩壊の基本原理である。この二つの力を分別することは不可能であり、どのような平和的な共益関係も、その拡大に伴い、暴力闘争の収束へと達する。他面から見れば、豊かさの全的な拡大は、破滅的な戦争によってしか終了することがないとも言える。

 人間は平和を、純粋なモラルによって創出することができない。経済による秩序はすでに、最終的な暴力による無秩序の可能性を胚胎しており、秩序が領域を越え、海を越え、民族を越えれば越えるほど、暴力的な終局は複雑怪奇で、激烈な形となる。

 ショーペンハウアーの寓話ー二匹のヤマアラシが暖をとるために身を寄せあい、針が刺さらない適度な距離へ近づく、という均衡は、人間には通用しない。
 同種の闘争こそが、残念ながら人間の生物的な熱量なのだろう。技術は野生動物を得るためではなく、同じ人間に行使するために最初に作られたのではないか。そうも思える。

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