アルフレッド・セイヤー・マハン

 マハンは日本人と中国人の移民を恐れた。なぜならば、彼のシーパワーの構成要素は、移民であってはならなかったからである。彼によれば、水兵の国民的性格を統一することは、海軍のみならず、全ての軍隊の土台である。もし、ここに外国人や異民族の性質が主体となるようなことがあれば、それは二重の危険性を引き起こす。一つは、軍隊そのものの能力の低下、そしてもう一つは軍隊が反乱軍になる可能性である。このような危険性を除去するために、軍隊の国民的性格は統一されていなければならず、そのためにはできるかぎり、外国に出自を持つような人間が軍隊に入ってくることを防がなければならないのは当然である。
 マハンの移民に対する恐怖感は、彼のシーパワーの理論の基本概念たる海軍に対する思想と同じ論理を有していると考えなければならない。もちろんアメリカの国家精神は、移民にアメリカ国民的性格を容易に与えてしまうような性質を持っていたから、マハンの恐怖感の持つ地政学的意味が溶解するようなことになってしまった感は否めない。しかし、それはアメリカの文化的・地理的条件がなしえたことであって、他国にもこの例を適用することは軽薄である。マハンの恐怖感は、他国において重重に理解し、共感できる地政学的感覚であると考えるほうが、合理的である。
 ともすれば、現代の民主主義国家は、軍隊がアメリカ的な統一作用を有する特別な存在であると考えがちであるが、これは致命的な謬見である。むしろ、民主主義の時代においてこそ、アメリカ的な統一作用がいかに危険なものであるのか、そして、それが軍隊において発現することが特に巨大な国家的危機を惹起すべきものであるのかを考えておかなければならない。人が自由に移動でき、居住でき、国籍を取得することができるようになった時代においてこそ、軍隊の〈民族的純粋性〉が国家の安全の為の最後の防衛網になる宿命を負っているということを、民主主義国家の為政者は別して理解しておかなければならない。この民族的純粋性を防備することによって、軍隊が正しく機能し、それを駆使した国家の秩序と利益が護持されるのである。

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