小論・ファシズムの進化仮説

 ここでは宗教、軍事、医療の歴史動態が観測される。オーギュスト・コントの社会動学とも照応する。彼の神学、形而上学、科学の三段階進化説もまた、最良の形態と最悪の形態をあわせ持つ。アリストテレスのカテゴリーである、民主制と衆愚制、貴族制と寡頭制、君主制と僭主制の対応関係を参照すればいい。

 まず、古代宗教社会における社会心理は、民衆の自己本位の存在感と、神的権威への属従によって構成される。つまり、そこでは権威への自己投影によって階級が形成されるがゆえに、非理性的な民衆が階級秩序に帰伏する。
 この社会では聖職者階級が最高位を占めるわけだが、それを支えるのはあくまでも神的権威となる。王侯貴族は平時の政権においてはより上位だが、例外状態に至れば聖職者階級の超法権を受容する。最終的には、軍隊などの暴力装置は聖職者階級の私兵として政治的には実存するが、しかしそれを可能にするのはあくまでも神的権威という情念だ。
 
 ここから近代社会への変容が生じる時、人間が自己を客観視するという理性的展開が基点となる。デカルトの定立が分かりやすい。精神は自己の所有に帰さねばならないからこそ、自己を客体とみなす。この自己対象化の心理が、社会的には実定法として形象化する。
 理性的な合議によって、ルールが定められる。しかしこのコモン・ウェルスを完成させられるのは軍隊だ。なぜなら、近代法権と国家主権を合一させられるのは、軍隊だけだからだ。暴力装置はここでは法を支配し、法に支配される。超法規的な混沌を、法理に準じた暴力装置が統御しようとする闘争過程とも言える。

 そして現代世界では、科学技術の発展が、近代国家主権を溶解する。民主化や平和化などの波及を、近代国家世界がなしくずしにもたらすことにより、国際秩序形成が浸透していく。各社会の実体は科学技術によってのみ指導され、個性化されるが、そこでは人間が法理の価値を経済現象によって還元する状態が可能になる。つまり、実定法の理性的内実は形骸化され、それは自己対象化の意味を失う。
 科学技術と経済原理による自動作用が、人間理性を無機的にし、その内面を原始化させる。そこでは、暴力装置は人体そのものとなる。なぜなら、科学技術を統制する権威も法も失効しているからであり、やがて各人は自在に科学技術を行使する「危険」な人体へと化していく。
 確かに、そこでは社会の福祉的方向性が、外面として科学技術を前導しているように見えるが、それは危険な人体たちの自己保存の方便としてのみ有意義となっている。つまり、福祉と暴力の共鳴によって、全人体に対する解剖権を社会が落手しているのだ。最終的には、共鳴の表徴である医療世界が全権を受任する。

 この先には何が待っているか。いずれにせよ最終工程では、魂の物質化が着手されるだろう。


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