CTファシズム論Ⅲ
日本が世界最筆頭の医療ファシズム国家であることは、論をまたない。そこには医療放射線の全面的解放を、医療福祉全体主義が促進するという政治的構造がある。言い換えれば、ある政治・職業集団が、患者や患者予備軍の体を好き勝手に扱えるという、人命の差別的世界が敷かれている。それを正当化するための論拠は数限りなく、ベネフィットリスク、しきい値モデル、急性障害の黙殺、医療権益の護持などの諸条件がそれである。
しかし、医療放射線がそれ自体で人体に損害を与える可能性にはすでに明確なエビデンスがある。これに基づけば、たとえば若年ガン者の過去のCT履歴を病因と規定することは不可能ではないし、ややもすれば、原因不明の体調不良や抑うつ症ですら、以前受けた医療放射線の影響であるという推理もまた、決して妄想ではなくなってくる。さまざまな疾患例が、医療放射線との関係を暗示することを確認するための、科学的な戦略の余地はまだ残されている。
目に見えない、人間の生命に対する損傷行為、そしてその正当化。これは明瞭なファシズムであり、これを可視化することこそが、理性の行為であり、また民主主義の真の自由でもある。
CTスキャンの銃弾はいまだ、病人だろうが健康者だろうが、白い制服をまとった者たちによってお構いなしに打ち込まれている。それが社会を病から浄化させる唯一の方法だと、喧伝されている。しかしそのうらで、この銃弾によって、多くの人間がガンその他の傷を受け、絶命させられたり、体の機能を失ったりしている。これをすべて明るみにだすことは、人間を権力から解放するプロセスには必須だ。
「私は昨日全身CTを受けさせられた。そして今日、体が動かなくなった」。ある医療従事者たちは彼をせせら笑いながら、精神科を薦めるだろう。それは彼らがファシストである証しだ。昔、ある市民が、自分の家族がゲシュタポに暗殺されたと訴えても、聞き入れてもらえなかったのと同じだ。