「不安の儀式」との決別

 人を火元にして、社会福祉の理念が狂熱を帯びる。この側面から、現代医療は脱化することはできない。医療検査は例外なく命を削り取る可能性がある行為だ。しかも、その実益は「安心感」としてしか、最後には結晶化しない。検査をした場合としなかった場合の寿命を比較することは、いかなる科学でも不可能な魔の証明だからだ。この危険な空虚の中に、いつでも現代医療システムは構えている。

 つまりすべての医療行為は、精神医学としての儀式効果によってのみ、はじめて社会と関係を結ぶことができる。比喩としてではなく、実際に病気を作り出すのは、儀式にすがりつく人間の不安な心だ。この不安を払拭してはじめて、人間は病気と決別できる。
 そのとき、患者は天寿を独力で保持するために、また医療者は殺人前提の職務と決別するために、病院を社会から自然の手へ返すだろう。


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