放射線と癌、すなわちデミウルゴスとアルコン
物質的宇宙がやつらのものである以上、被造物たる人間単独では抗い得ない状況がある。どれだけ知性を練磨し、技術を開作しようとも、やつらは、我々の努力をあらゆる指令と誘惑によって、無へと帰せしめる。医療被曝は魔界からの信号であり、対して、抗がん剤は門柱からの飛び矢となる。
物質的宇宙は、魔界との交路を立派に持っているのだ。我々の住む血塗られた結界には、神秘としかいえない悪しき奇瑞がある。探そうと思えばさらに自然から、放射線以上の強力で透明な生体解体原理がでてくるかもしれない。そしてそれに対抗しようと、人知は精励するだろう。
むろん、われわれに完全な防護法などない。デミウルゴスの矢継ぎ早の奸策の前に、我々がいつか疲弊することは目に見えている。国家が、生活が救われるとき、結局、それは自滅するときである。それはデミウルゴスの造物機能に基づいてはいない、ということくらい、死を選ぶ高貴な人たちは叫ぶことができるだろう。
なぜならその叫びは、悪しきデミウルゴスを倒す至高神を呼び寄せるための唱歌だからだ。この邪悪な宇宙を創造した者の犯罪を裁ける者が、どこかにいるはず。デミウルゴスの魔界とは別の超越界で、進軍の準備を進めているはず。
真の栄光ある軍隊の役割とは、製作者を殺すことである。古代ローマの勇将マルケッルスは、アルキメデスの死を悲嘆した。これは彼の戦歴のうちで、唯一の敗北だった。それに対し、砂上の創造にとらわれた奇人を、すかさず殺したローマの蛮兵は英雄だった。溌剌たる勝者だった。奇人が悪魔の使いであることを、瞬時に察知していたのだ。マルケッルスは、やはりファビウスとは違い、所詮ただの敗将だ。ファビウスもスキピオも、ファウスティックな知性に敬意を抱くような弱者ではない。
あのたくましいローマ蛮兵が二十世紀にもしいてくれたら。彼がアインシュタインやレントゲンの研究室などに闖入し、ことごとく斬殺していてくれたら。どれだけ、デミウルゴスを歯噛みさせることになっただろうか。そのときもしかしたら、二十世紀は天光の時代になったかもしれないのだ。我々の体を蝕み、今もなお無限増殖するアルコンたちを一網打尽にする光に。
なぜ我々は目に見えない怪光に歴史を委ねてしまった? 悪魔の熱線と、破廉恥な窃視で、人体を怪物に仕立てあげてしまったのだ。それは本来、我々の善良な魂を映しだす鏡であるべきだったのに。
皮膚だけで十分だったのだ。筋肉だけで。それで十分デミウルゴスに対抗できたのだ。にもかかわらず、我々の新世紀は、まんまとやつの術策にはまってしまった。
どのような鍛え上げられられたダヴィデ・ヘラクレス的肉体も、その内部から密かに不安定ゲノムが注入されることによって、肉体の皮膚の美が、あっというまに悪臭と汚わいまとう老醜へと変身する不可視の電磁波。愚かな我々は、皮膚を信じず、放射線という神秘を信じた。
やって来たのは神々ではなかった。ラストバタリオンでもなかった。アルコンたちは無限増殖細胞となって我々のうちに凱旋し、新世紀においてもデミウルゴスの支配が勝ることを告げたのだった。
ガンとの戦争こそが、人間にとっての最終戦争だろう。それはまがうことなく、自己との戦いである。参戦しない者は処刑されるだろう。参戦する者は虫けらのように死んでいくだろう。これ以上に酸鼻な戦争はないだろう。