目の前で行われる人体実験
政府や医療集団は、たとえば30、40代以降からは発ガンしやすいという名目で、健診体制や医療方針を定めている。しかし、社会人として10代、20代から継続的に健診を受けていれば、医療放射線は蓄積される。確率は低いが胸部レントゲン蓄積がヒットするかもしれないし、30代からのマンモグラフィーや胃透視のオプションを継続していれば、更に早発ガンのリスクが高まる。しかし、このようなリスクはほとんど周知されず、健康者に勧奨されている。つまり、30、40代の発ガンは、それ以前の放射線検査が原因であるかもしれないのだ。
人工放射線は受けないに越したことはない。健康者は極低線量でも受けるよりも受けないほうがいい。安全な代替検査もある。ペプシノーゲンや胸部MRIや喀痰検査。しかし、医療被曝のリスクが勘案されずに、単なる気まぐれや曖昧な判断でオプション様式や有無が決まる。これで、寿命や生死が決まる。
政府や医療集団はこのリスクを、ほとんど全国民に強いていることになる。現行の健診体制に、マウスの実験結果を外挿すれば、全国民の平均寿命が削減されることを前提にしてシステムが運用されていることになる。しかしベネフィットリスクの利益は、放射線のリスクよりも不確実なのだ。
発ガン年代は自然による設計ではなく、社会による設計であるかもしれない。さらば、命のギャンブルの存在に気づかない国民は、人体実験に参加させられていることになる。ある年代になれば病気になりやすくなる、という現象の裏には人工放射線が関与していることは否定できない。
すべての老化や病気の根因に、人工放射線の暗躍を疑うことは非科学的ではない。それが放射線の謎に満ちた危うさなのだ。