廃棄世代と充填世代

 近代国家は自国民のある一世代に関して、経済資源の調整のために、その生殖力、生産力、消費力を縮減する。これは将来の社会的衰退を意味するが、目前の近代的自由、福祉、分業は、経済資源の統制なくしては立ち行かない。社会や企業は、経済成長の反動からの収縮によって存命を図る。資本ストックの維持のために、人口は急速な低減を強いられる。今日の氷河期世代は、歴史運動としては、戦争による口減らしの憂き目を味わったに等しい。
 しかしシュンペーターのいうように、経済成長は最終的には右肩上がりを続ける。これは市場の技術革新や分業原理によって、新領域への資本投下が拡大するからである。しかも資本・技術・労働は、未開の地域に対しても、すでに経済成長を達成している社会に近似的なレベルから、開発を開始する。地政学者マッキンダーは、仮に戦争による荒廃が訪れても、近代世界においては経済復興が速やかに達成されることを、戦前のドイツを例に示している。同様に現今の世界でも、新領域への経済的浸透は高速に生じる。
 世代廃棄を実行した国家にとって、新領域は、予期される衰退をしのぐための資源調達地である。まず低級材や食料生産を新領域は担い、成長国家の生産空洞を充填する。しかし空洞はさらに拡大し、成長国家の資本源である第二次以下産業の空洞化へと拡張する。つまり、国内の労働力調達が必要になるわけであるが、衰退の役割を担わされた廃棄世代の雇用再開より、新領域からの労働力調達のほうがより軽便である。なぜなら、新領域は未だ成長国家ほどの貨幣価値や所得レベルにおよばず、またその領域は広範であるから、より安価な労働力が早期に確保されやすいのである。
 これらの回復期において成長国家は衰退から徐々に脱していく。内外の経済的新領域から生じる富がそれをなしていく。この時期における充填を活用して、今度は国家は新しい自国民の世代を形成していく。しかし廃棄世代を扶養するために、やがて更なる新領域の開発に乗り出さねばならなくなるが、その時、新領域は技術的・貨幣的に同レベルにまで成長を遂げている可能性が高い。そうなると、新しい国民世代はもはや、新領域の獲得ではなく、自国の旧領域の売却によって糊口をしのがねばならなくなる。しかし、その負担は新世代の将来的な衰退を担保することになる。


いいなと思ったら応援しよう!