スヤスヤ教について、へ来たコメントへの返信と、私の記事の本質。
先にスヤスヤ教について、と言う記事を読む事。
>宗教を陳腐化(以下略)
まず断っておきたいのは、私はスヤスヤ教を宗教として馬鹿にはしていない。一部信者の精神性を馬鹿にしているのである。故に氏の言う風に批判されてもそれはただの的外れな批判である。現状似非宗教ごっこなのはただの事実である。無論、これ以降にスヤスヤ教がそのミーム的側面によってイデオロギー的に構築され、ミームから脱却し、イデ闘によって進化する可能性はあると私は考える。その場合は立派な宗教として認める。
しかしながらスヤスヤ教に対する怒りはある。詳しくは後で。
>宗教を馬鹿にしてはならないのか
いけないとは言っていない。私が文中で言った軽んずる、とは何に対してか。これは文章全体において一貫している筈だ。というか私がスヤスヤ教の一件に関して抱いてる怒りとは二つしかない。
自身の加害性に無自覚だったり目を逸らす一部擁護者
血文字を軽々しく愚弄する精神
である。1は置いておく。これについてはあれの愚劣なダブルスタンダードにてほぼ十分に述べていると思っている。
読者諸君は恐らく私の怒りの大部分が1に対する物であり、2に関しては1程ではないというのは理解できるだろう。
そして2に関しても私は宗教をネタにするなと言ってはいない。これは氏の誤読である。私は現実の問題や、その背後に堂々と流れる血の川を画面の向こう側に押しやり、自らの腹を満たす行為を批判しているのである。
実際私は宗教を馬鹿にするな、等の文言を書き込んだ覚えはない。あるのであれば教えて頂きたい。
同時に、ここで述べておくと私は宗教を根絶やしにしてしまえと思ってすらいるので宗教へのリスペクトなんか微塵もないし、宗教全般を等しく馬鹿にし、信者を馬鹿にすらしている。ブルジョワに利用されるのが運命である宗教等の存在を私は断固として認めない敵である。とここに明言しておく。私は敵として重んじてはいる。無論、私もそういった考えを信じているのだから同じ穴の貉でしかないが。
>差別的な区分け
他の人がどうかは置いておいて私は述べた通りイデオロギー的に組み立てられていない宗教はすべて偽物と思っているのでこれも的外れである。これも文中で述べている。これを差別的とするのであれば批判のNoteなんかで詳しく書いて貰いたい。
>あらゆる文化を無条件に包摂(以下略)
知らん。私は文化なんて破壊して作ればいいと思っているのでどうでも良い。
>信者を愚か
宗教の信者をそもそも徹底的に馬鹿にし、否定しているのと、絶対に問題になりそうな(実際なった)似非宗教ごっこなんかのミーム的概念に碌に考えもせず乗っかる馬鹿な一部信者と、オナニーの時に使うティッシュのように消費する癖に何故かそれを守ろうとする一部擁護者、そして自己の加害性から逃げる一部擁護者を心底馬鹿にしているから。
明らかにしておきたいこと
詳しく私のXアカウントを見た人や、例のNoteをキチンと読めた人、私の方面の知識を持つ人なら分かるだろうが、私はX上のスヤスヤ教批判を行っている人々の多くとは別の視点である。少なくとも私は困惑している。何故ここまで私のNoteが一定人数より支持を得ているのか理解できない。確かに前半部分は大人しいがそれは実際は私にとってそこまで重要では無いと言う証であって、あれのメインは最後も最後である。
私の思想や実存を知った上で共鳴したり、シンパシーを感じる訳でも、あのNoteに同意する訳でも無く、私について知らず、ただただあれに丸ごと共感してしまう人は注意した方が良い。何故ならばあれこそがファシズムだからだ。私から言わせてもらえばそういった人々と、スヤスヤ教に頑なに拘る人々は全く変わらず同質だ。今回の件で最も賢い人物はスヤスヤ教にも、私のNoteにも興味を持たない人物で、その次が教祖(?)みねるば氏である。
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