23/1/19
こんにちは トウハです。
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さっきまでひたすら朝井リョウの生欲を読んでいました。一回読み始めてしまったら読み終わるまで止まらないんですよねー
生欲読んでて思ったことを書いていきたいと思います
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まず読み終わった直後に思ったのは、大也君のその後ですね…こういうのめちゃくちゃ気になりませんか!?勿論他に逮捕された佳道や矢田部のことも気になりますけど 彼はまだ大学生で、親と一緒に暮らしている状況だし、卒業もしてないし、就職も…と考えると、めちゃくちゃ…遣る瀬無い気持ちになります 勝手にその後の生きづらさを想像してしまいました
というか 一番最初に事件の記事を載せておくの、なかなか残酷だなあと思いましたね…
やっと自分を生に引き留めてくれるような物を、繋がりを、その兆しを 見つけたんだ って、明るい描写なのに でもこの後捕まるんだよなーっていう落差が先に分かっている状態で読むと めちゃくちゃ無常じゃん……ってなります でも、一番最後に明かされるのもそれはそれで嫌ですかね…
作者は何でこのような構成にしたんですかね 繋がりを見つけて、明るい未来を暗示させる所で終わっても良いじゃないですか 少数派の性指向で生まれて、それ故に社会で常に生きづらさを抱えている人間でも生きることに希望を持てるんだ!繋がりを手に入れた登場人物の未来は明るい!って メデタシメデタシって 物語だしそこだけ切り取ったって良いじゃないですか。
でもやっぱりそんな上手くいかないですよね実際の人生とか 光が見えたと思ったら それは真っ直ぐ希望になりきれずに消えていくし 築いてきた物はちょっとした偶然で崩れ落ちて いつも自分の特性と戦ってて、自分の特性に邪魔されてて またか、って諦めて
で、その後も 続くんですよね人生って マジで!!!続くんですよ 地続きなんです!ずっと!自分で 自分を 抱え続けないといけないんですよね
諦めて諦めて諦めてを繰り返す中で、やっと見つけた繋がりが消えてしまった後も 慎重に慎重に社会に馴染もうとしていたのがちょっとした偶然で、衝動で、壊れてしまった後も お前の特性は現実的には有り得ない事だと法律に突きつけられた後でも 死なない限り自動的に生は続いてて 根幹がおかしい自分を、正しい生き物じゃないって嫌になる程自覚できちゃってる自分を 死なない限り引きずって生き続けないといけないんですよ
寺井もそうですよね 自分の子が自分が信じていたレールから外れてしまった後でも、そして、その正しかった筈のレールが、自分自身が立っていた岸が、不確かな物なんだと分かってしまった後でも 検事として、父として生き続けないといけないんです
みたいな 自分の重さとか 人生の途方もなさが書きたかったのかなと ちょっと思いました 良い感じの所ですっきり終わらせて、ハッピーエンドは、作者が無責任だと思ったからなのかなって 自己解釈ばりばりですが。いや全然違う気がしてきたし何書いてるのか分かんなくなってきた ハーッ
でも何か 終わり方をそう捉えただけで 内容はそんなにネガティブとか無常を書いてる訳ではないと思いました
夏月と佳道が大晦日に二人で過ごす所とか、疑似セックスするシーンとかめちゃくちゃ好きです
自分の話をすることを避けて介入されることを避けて、って理由は違うんですけど僕も似たようなことをしがちなんです 僕がそんな感じなのは、何か色々あって実生活で関係のある人に"自分の話"自体をするのがちょっと怖いからで、二人とは理由が違うんですけど
でもたまに、分からないことは分からないままで、何が間違ってるかとか、こんなこと言ったら不審がられるとか、悪いイメージが付くとか、調子乗ってるって思われるとか、そういうことまるで気にしないで、自分の内側を吐き出してみたいとか受け止めてほしいって思うときがあります 正しいんだよ大丈夫だよって認めてほしいというより おかしいならおかしいままで、誰かにそんな意味わかんねえ自分が有ることを ただただ受け止めてほしいなって思う時があります
だからこの本読んでて 上述したシーンめっちゃ良!!!!!って思ったし 同時にそういう時が自分にも訪れるのかなみたいな そうしてくれる相手にいつか出会えるのかなみたいな 思って(作中の"網を編む"の解釈が合ってるか分かんないけど)
あと 自分も同じような気持ち抱えてる誰かのそんな存在に なれたら良いなとも思いました
そういえば最後の方八重子が 話をしよう、って言ってたのって どうなんですかね?!そこがよく分かってないんですが 一方的で無神経で良くないと捉えるのか、人と違う物を抱えてる者同士一緒に考えてもっと前向きに生きられるよう手を差し伸べてると捉えるか…
一人で心を閉ざして、自分は特別不幸だって閉じこもってるのは、実際楽で逃げてるって側面はあると思うけど 一概に良くないとか言えないですよね その人がそうやって居たほうが生きやすいのなら、その人の自由だし
放っといてくれたら、変に介入しないでくれたら勝手に生きるから、ってそっちの方が楽なら、人に迷惑も掛けてないのに部外者が矯正しようとするのは意味わかんない
でもやっぱりそれはそのうち無理(社会に対する不満の暴発とか、孤独感からの自殺とか)が出てきてしまうんですかね そう考えると八重子の繋がりで居ようとしてくれる姿勢はありがたいんですかね…
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他にも思ったことあるんですけどまとまりそうに無いし時間掛かりすぎなんで一旦辞めます!!!!