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中途半端で何が悪い

『中途半端で何が悪い』
久しぶりに開いたnoteの、下書きに保存されていたタイトル。
ログインは9ヶ月ぶりらしい。

9ヶ月前の自分が、一体何の溜飲を下げようとしていたのか、気になって下書きを開いてみたら、そんな不穏なタイトルから深海/Mr.Childrenのアルバムレビューを書こうとして途中で筆を止めたみたいだった。どう修めるつもりだったのか、自分でもさっぱり覚えていない。

さて
ひとつのバンドのキリがついたので、一旦気持ちでもつらつら書き連ねようかと思う。

自身がフロントマンとして活動してきたGANZINというバンドが一旦活動を休止する。
デザートロック、ストーナーロック、グランジ、ハードロック、ドゥームに影響を受けたバンドだった。音源は下記のリンクを参照。聞いてくれると嬉しい。

5年くらいできた。本当に楽しかった。
沢山成長できたと思う。

5年前
「タイシ(ex.The Drags / PoSS)とイイホウシ(The Drags)と、
今こんな曲を作っている」
優さん(GANZINオリジンメンバー・元ギター)から面白半分でデモを聴かせてもらったのが始まりだった。

深夜の江差、かもめ島の駐車場。忘れもしない。
あれは『幸甚の至り』の原型のデモだった気がする。
車のカーステレオから聞こえてくるキテレツなリフに心が躍り
「ボーカルやりたいっす」
と言ったら「本当にやる?」と優さんから後日声をかけてもらったのがきっかけだった。(彼には本当に感謝しているし、尊敬している)


このバンドを通して。


一つ目の土産は色んな人の音を聞けて色んな人と一緒に出来たこと。

ベースは
オリジンメンバーの赤坂をはじめ、
リザーブメンバーとして畠(pills)、アズミ、
サポートメンバーとして竜二(MISHIRO)、モエタ(Oh! My ass!!

ギターは
オリジンメンバーとしてイイホウシさん、優さん、ひかるさん(The Drags)
サポートメンバーとしてケイタ(Pet-swimmer)

ボーカルは
riv yose(pills)にお願いした。(これは本当に面白かった。別に出演できないわけでもないのに、「GANZINを聞きたいから」という理由だけでお願いした。もちろん彼は全信頼を預けられる最高のアーティストだし、その日も最高のステージをしてくれた)

僕は臆病なので自分から「一緒にやろう」とは誘えないタチだ。
それなのに、のちにリーダーになるタイシさんが色んな人を連れてきて、色んな人とGANZINを作り上げる中で、色んな人と演奏する喜びを体感できた。自分は、周りに恵まれて幸せ者だと思う。

ある程度のグルーブは、回数を重ねて理解されるが、どうしてもはみ出すグルーブがあり、周りがそれを庇うようにできた瘡蓋こそ、そのメンバーでのGANZINになる、という感覚。あれは非常に面白かった。音楽の属人性を認めざるを得ない。



また二つ目の土産として、ピンボーカルのフロントマンとしての役割の理解だった。

まさにフロア全体の指揮、監督を任せられるようでもあった。
自分のエネルギーとパフォーマンスが、そのまま観客に伝わる感覚だった。
「リズムに乗って歌う」「下半身の体さばき」「目線」とかその辺の小手先も大事だが、もっと大切なことを学んだ。

GANZINに限らず、人(にん)にあってないオラつき・スカしをして、観客を良く敵に回していたことがあった。たまに今だってある。
初めて3年くらい経った時、もつさん(SWORD)に「田畑はもっとハッピーにやんなきゃ!」と言ってもらえてから立ち返ったが、確かに教室でヘラヘラしてる三枚目が、突然塾でオラオライキりだしても、みんな総スカンである。

大事なのは人(にん)にあった立ち振る舞いで演奏すること。
それができるようになったのは「なりたいもの」と「できるもの」が、自分の場合一緒じゃないことを受け入れてからだったもかもしれない。

ジャンルの焼き増しやカリスマの二番煎じになろうとするのを諦めてから、自分も相当気が楽になったし、素の自分で観客も楽しんでくれていたと思っている。(これもまた音楽の属人性を認めざるを得ないというところに落ち着く)

諦めは決してネガティブな言葉じゃない
手放すことで次に行ける
そんな事を考えるきっかけをくれた大好きな評↓

「Let It Be」「Runaway」「Alright」という内的闘争の帰結、"かるみ"について/久世 
https://note.com/dosto_f_love/n/nd16f53f69927


三つ目として、歌唱技術的な部分。喉にDS−1を搭載することに成功した(声を歪ませる技術を習得した)。正直だいぶコソ勉しました。

綺麗な声、歌モノと位置付けられることが当時はコンプレックスだった。
大好きなラウド、ハードコアの現場にとって、自分のような歌謡曲アプローチの歌唱は煙たがられる要素だと思い込んでいたし、プレイヤーとして、好きな音楽の好きな表現が出来ないのは苦痛だからこそ、必死だったんだと思う。(今思えば煙たがられるとかそういうのは考えすぎだったなとも思う)

先ほど「なりたいものでなくできるものをやりなさい」という宿命論的なニュアンスに取られかねない先述をした。
人(にん)とかマインドにおいてはそうかもしれないけど、技術に関して言えば、その人の身体的な特性にさえ合っていれば、必要に応じて「できるもの」を拡張する必要は大いにあると思う。持って生まれたど真ん中の特性(できるもの)を促進させてくれたり、引き立たせることがあるからだ。例えるならスイカに塩を振ったり練乳をかけたり。

だからこそ俺の「できること」はこれからも増えていくと思う。
見てる人も、自分自身も、きっと伸びしろないとつまらない。



話は変わって、以前ある先輩に「田畑は中途半端だよね」と言われたことがつっかかっていた。別に音楽に限ったことを言ったんじゃないと思う。好奇心からなんでも手を付けてしまうし、全てを捨ててこなかったし、だから離れていったものが沢山あった。

音楽活動だけでも、MISHIROやGANZIN、Mohs Chords、ソロでの活動、いっぱいやってきて、その先輩でなくても、中途半端と言われたこともあったが、最近は言われなくなってきた。
おそらくGANZINでの気づきがようやく身に染みて、価値観として機能してるし、逆も然りなんだと思う。

最近はありがたいことに、ちょっとずつ「今までやってきたことが一つになってきた感じがあるね」と言ってもらえるくらいにはなった。マルチバースがつながり始めてきた。スパイダーマン・ノーウェイホームばりに。

過激な表現ができると、とてつもなく繊細なものができるはず。
繊細な表現を極めたあと、また過激に立ち戻れば激辛を作れるはず。
そう思って色んなユニバースを何度も行ったり来たりを繰り返して、表現を突き詰めるのがスタンスなんだ、と自分で思う。

ビートたけしが全部思ってたことを言ってくれていたので引用したい。

振り子の理論でいえば、暴力とは反対の方向へ振れるだけ振っておけば、今度暴力の側へ戻ってきたとき、今までよりも、もっとずっと過激に表現することができる。

 振り子も愛と暴力の間でだけ振れるんじゃなくて、お笑いの方へも振ってみたいし、あらゆるところへ振っていく。その振幅が大きければ大きいほど、他へいったときもっと大きいことができる。

 おいらは、平面的な振り子ではなくて、360度あっちこっち振れて、結果的には水平にぐるぐる回ってしまうぐらいなことをやりたいんだ。

 もっと大きく言えば、お釈迦様の手のひらの上で、暴れるだけぐるぐる回りたいね。ビートたけしの手のひらの上で北野武が回っていたり、その逆があったりという感じなんだよ

私は世界で嫌われる (新潮文庫 ひ 11-13) | ビートたけし

もちろんビートたけしと僕とでは、そもそも振り子の重さが違うので比べるモノじゃない。ただあくまで、権威性を持たせたかったから(笑)
それに一つのジャンルを極めることを悪く言ったりもしない。


俺の勝手だが、しばらく弾き語りを頑張ることに決めた。
MISHIROも次のライブで最後。
たけしの振り子理論に立ち戻ると、いったん繊細な表現、大衆的な表現を突き詰めるのは、これからの振り子を大きく振るのにいい機会だと思う。


絶対にまたバンドもやりたいな、弾き語りだっておじいちゃんになってもやっていたい。色んなのに手を出す。

俺は、多分ずっとこうだし、なんか言われたら、全てのユニバースを愛しているからこそ、その都度俺は『中途半端で何が悪い』って言う。

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