読書ノート その2 ドイツ参謀本部
昭和61年1月25日17版(昭和49年12月初版)。筆者は渡部昇一。
中公新書。当時の定価480円とある。
この本が出版された昭和61年は、私が大学に入学した年である。
雪がちらつく中、入学式に向かう新入生に、ヘルメットとマスクをした多くの学生がビラを配り、その反対側には立ち並ぶ機動隊員。
九州からやってきた地方の青年には、なかなかインパクトの強い光景であった。
さて、今回の書、ドイツ参謀本部であるが、どういう経緯で購入したのか覚えていない。ただ、元々軍事系に興味があり、世界史好きの私が本屋で手に取ったのは不思議ではない。
歴史好きの方であれば、明治政府、特に陸軍はドイツ、いや、プロイセンの影響を大きく受けたのはご存知でしょう。
統一ドイツ(ドイツ帝国)は、オーストリアとフランスを軍事的に屈服させたプロイセン(ホーエンツォレルン家)により達成された。
その原動力は、強力な軍事力と、作戦指導を行う参謀本部の存在である。
その歩みは、フリードリッヒ大王によるプロイセンの勃興から、戦争の天才ナポレオンによる敗北。
そこから、シャルンホルスト、グナイゼナウが登場し、組織としてノウハウを蓄積して天才ナポレオンを倒すに至る。
その流れの中で、「戦争は他の手段を持ってする政治の継続にほかならぬ」で知られる「戦争論」の著者クラウゼヴィッツがいる。
モルトケが参謀本部を率いるようになると、政治家ビスマルクとのコンビで、ドイツ統一に向け突き進む。
普墺戦争では、世界の予想に反し、整備した鉄道網を活用しての外線作戦(包囲攻撃)により、短期決戦でオーストリアに完全勝利。
普仏戦争では、要塞より野戦を重視し、ナポレオン三世を捕虜にするに至る。
このあたりが絶頂期である。
ビスマルク退場後、ドイツにはこれぞという政治的指導者が出ず、二正面作戦を強いられる前提のシュリーフェンプランを基に第一次大戦を戦い、長期戦となりドイツは敗れる。
第二次世界大戦では、参謀本部を嫌うヒトラーによる戦争指導で、結末は皆様ご存知のとおり。
ドイツ参謀本部は、旧日本帝国陸軍はもとより、アメリカのペンタゴン(国防総省)など世界中の行政や企業組織に影響を与えてきた。
しかし、参謀がいかに有能でも、指導者が無能では成功には結びつかない。
モルトケには軍人に二正面作戦をさせない政治家、ビスマルクがいた。
このことは、現代の私たちが肝に銘じることではないでしょうか。
バイブル的な書です。