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古代メキシコ展を観に行ってきた

 先日、東京国立博物館へ「古代メキシコ展〜マヤ、アステカ、テオティワカン〜」を観に行ってきた。美術館はよく行くけど、博物館はほとんど行ったことがなかった。美術館とは違って、入場制限がなく(この日だけではなさそうだった)、チケットも時間で区切って販売などしていなかった。

結構混んでいて、展示数も多く、一つ一つじっくり見るならかなり時間を要すると思う。音声ガイドを聴きながら流れに乗って進んでいった感じ。

古代メキシコ文化って、こんなにも生贄、生贄、生贄なのね・・・。よくよく考えてみると、そりゃあそうか、とも思うけど、至る所にその類の説明があり、想像してドーンとなった。心臓をお供えする、ゲームで生贄を決める、など、またか。また、生贄か。。みたいな。


おなかの上に心臓を置くそうです

この大きめの置物に惹きつけられて近寄ったら、また心臓の説明を音声ガイドで聞いて、はっ・・・となる。このおなかの上に心臓を置くそうで。果物とか木の実とかそういうお供物じゃ、ないのね。果物とか置いたらとても映えそうなのにね。映えとかそりゃあそういうの必要ないとは思うけれども。


これもまた「人身供儀」の説明が。

球技についてのあれこれも、これまた全然楽しくない説明が。こんなので遊んだんだなあ!と呑気に思っていたら。イカゲームとかカイジとかそんなのを思い出した。うううう。おっかない。でも土偶のこのまあるいフォルムは可愛らしい。



カカオ好きの猿

カカオのネックレスを着けている猿の表情が良い。嬉しそう。「えへへ!」みたいな。


トウモロコシを盗んで処刑されているのかと思った

火鉢、と知ってドキッとした。なんかとうもろこしを盗んだ人を火炙りにしているみたいで怖いと思ってしまった・・・。人身供犠にまつわるものを見すぎたからか。目に生命力がないのがまたなんとも。



イェーイ!!みたいな雰囲気が好き




脛だけじゃなくふくらはぎにも鳥の爪がありました。
鳥人間コンテストをなぜか思い出した。これ、絶対すぐ海に落ちるよね。



穏やかな目をしている。シュール。




不気味さとどこかほんわかした感じが好き。
口の中が少し見えているのが好き。




「赤の女王」これが人気の展示物だったように思います
横に置いてあるマスクはなんのためなんだろうか。
両足のアクセサリーがおしゃれ。

他にももっともっとたくさんの展示があり、見終わった後どっと疲れた。展示は全て写真OKで皆さんゆったりと見ている感じがしました。たくさんの方が見ていたので、説明文をじっくり見られないこともあり、音声ガイドは私にとっては良かった気がする。
上白石萌音さんの声が心地よかった。妹の上白石萌歌さんが以前務めた音声ガイド(何の展示か忘れました)もとても良かった。姉妹揃って良い声。聴きやすい。



スタバのポテチを初めて食べた

博物館の後、塩分と水分を欲してスタバへ。この日は暑くて暑くてしばらくぼーっとした。スタバのポテチを初めて食べたけど、量はちょうど良いし、固めに揚げたポテチで食べ応えがあった。二人でつまむにはちょうど良い。

東京国立博物館で9月3日までやっている「特別展 古代メキシコ」。興味がある方は是非。結構ボリュームあります。



ロイホにて

週末にロイヤルホストでパンケーキを食べた。ボリュームがすごい。11時までのモーニング提供時間前に滑り込んで、朝・昼兼用のごはんにぴったり。

ここ最近、浮き沈みがあって、なかなか上がりきらない気持ちにもどかしさを感じる。それでも、寝て起きてご飯食べて少し走ったり出かけられている。必要なもやもや期だろう、と思ってできることをしようと思う。

小説を書いてみて、思うこと。言葉を文章を操るのは難しい。書き上げることは持久力も集中力も必要。書き上げるんだ、っていう強い気持ちが必要。どっと疲れた。書いてみて、初めて感じる無力感。これも書いて見ないとわからなかったこと。「言うが易し、行うは難し」を身をもって体感した。
推敲をほとんどしていないという、ひどい状態なので、少しずつ推敲してちゃんとしたい。ちゃんとしたい。

さっき市川沙央さんの「ハンチバック」を買ってきてスタバで一気読みした。すごいものを読んだ感覚は久しぶり。強い感情がページから溢れている。買って良かった。感想はまた後でじっくり書きたいです。

昨日ストーマの腸太郎からきれいな枝豆が出てくる夢を見た。しかも鞘付きで!茹でたての枝豆!綺麗な状態で綺麗な緑で出てきた。汚い話のようですみません。決して汚い状態ではなく、居酒屋で出てくるような状態で青々としたものが出てきた。ファンタジー。
夢の中でも私は驚いていたけど、起きて改めて考えるとなかなか不気味で面白い。
でも、この面白さを同じテンションで笑ってくれる人ってなかなかいないんだよなあ。

ハンチバックを読んだ後、その夢のことを考えた。
共感が全てではないんだけれど、些細なことで気持ちを分かち合えるって当たり前じゃないよなあ。
あまりに自分が特殊と認識されている環境では、自分の病気や障害、自分の個性について、いちいち説明や権利の主張が必要。それって疲れるだろうなあと思った。私だってそう思うことはあるもの。

ストーマがあること。
それはやっぱり多くの人には普通ではないことで、それを造設するくらいなら死んだほうがマシ、という人がいるのもわかる。別にそれを責める気はないし、思うのは自由。でも、私はこの体で生きていくほかない。
久しぶりにそのことを考えた。

もう夕方。外に干したシーツが夕日を浴びている。まだまだ暑い。
今日もあと1時間半くらいしたら、ウォーキングに小走りを入れたやつをしに行こうかと思う。継続大事。


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