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波瀾万丈のとんでもない人生から私が学んだこと!(前編)
親から十分な愛を与えられずに育った人間は、
その与えられずに空っぽになっている心の入れ物を他の何かで満たそうとする。
要するに心が愛に飢えているのだ。
私の両親もそうだったように、私も空っぽの心をいつも何かで満たそうとしていた。
これは私が両親と自分の人生を通して、
気づいた事、学んだ事の記録である。
【幼少期】
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私の家庭環境は最悪で、私が幼い頃から父が母に暴力を振るっていたので私は常にハラハラしながら不安の毎日を過ごしていた。
普通なら家族で夕飯を食べて少しテレビでも見たりして家族の団欒があるのだろうが、
父が人生の途中から仕事をやめて遊び人になってしまったので母が朝から夜中まで一人で寿司屋を切り盛りしていた。
そんな状況だから私は家族の団欒と言うものを知らない。
夜一人で2階で寝ていると酔っ払いの声、
バーのお姉さん達の笑い声、
そして喧嘩をしている男達の声・・
とにかく騒がしい。
店は飲屋街の中にあり朝方まで賑やかで、
揉め事も多かったので女一人で夜働く母の事がいつも心配で仕方なかった。
時々家に父が帰って来ると夜中にいつも母と喧嘩になり、
父の怒鳴り声と物が壊れる音、
母の悲鳴や泣き声で起こされる事が多かった。
4才の私の心臓はドキドキ…ドキドキといつまでも止まらなくなる。
何もできない小さな私は、
ただ布団の中で声を立てずに泣くだけだった。
その頃から私は毎日夜寝る前に空を見ては
「神様、今日はお父さんとお母さんが喧嘩をしませんように。お母さんをどうか守って下さい。」と祈るようになった。
両親の喧嘩は大概は夜中だったので
(夜なんてこなければいいのに。)と、
私は夜が大っ嫌いになった。
そして、5才、6才となるにつれて私は目の前で父に殴られたり蹴られたりしている母を何とか助けようと小さいながら色々考えた。
(私がお母さんの前に行けばお父さんは私まで殴らないだろう・・)と思った。
何回も走って母の前に行こうとした。
(今日こそは・・・)と思うのにできなかった。
父の怒鳴り声と鬼のような父の顔を見ると、体が硬直して動かない・・・。
(お母さんを殴らないで!)と心の中で言うだけで声が出ない・・・。
そんな自分が情けなかった・・。
自分は弱虫だと思った。
悔しくて涙が止まらなかった。
(もっと、強くなりたい!)そう思って泣いていた。
※この幼少期の不安と恐れ(トラウマ)の体験が私の人生の中で大きな影響を与える事になる。
お金がある無しに関わらず、家族揃って夕食を食べながら今日の出来事等をみんなで話し合う。
そんな何でもない些細な事が本当は最高に幸せな事だと気づく人は少ない。
そして、当事者の親達も自分が生きる事に必死でその事に全く気づかない。
私の両親も自分達は私を困らせたり苦しめているつもりはなかっただろう。
ただ、自分達の孤独や淋しさを癒す術を知らなかったのだ。
この時の傷ついた小さな子供(インナーチャイルド)は私の中で必死に助けを求めていたのだが私は長い間その小さな子供の存在に気づかなかった。
【父の話】
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両親は恋愛結婚で父は最初から母に暴力を振るっていた訳ではなかった。
父は4人兄妹の長男で両親は寿司屋を経営していたが家が貧しかったので、父は中学を卒業すると横須賀に板前の修行に出て働いた。
働いたお金のほとんどは弟妹の学費の為に仕送りしていたそうだ。
父は家族の為に一生懸命に働いたが、親に愛されたと思った事が一度もなかったと私に話した事があった。
16才から親元離れて厳しい板前の修行に出された父は幼い頃にも母親と別れて祖母に育てられた時期もあり親に甘えた事もなく孤独で淋しかったのだと思う。
真面目に板前の修行を積んでその後母と出会い結婚し小さな寿司屋を開店した。
ずっと真面目に働いてきた父だったが、その当時は治安が悪く年がら年中ヤクザ同士の抗争事件やチンピラや自衛隊との争いも多く父も喧嘩に巻き込まれる事が多くなった。
弱い者虐めが嫌いで元々腕っ節の強い父は喧嘩の仲裁に入ったり、売られた喧嘩を断れずに町で大暴れしていたそうだ。
父が喧嘩で名が知られるようになると、ヤクザとの付き合いが徐々に増えていった。
幼い頃から家族に尽くしてきた父も両親の愛情を知らずに育った。
父は孤独の中で愛されたいと言う抑圧した感情をずっと抱えながら生きてきたのだろう。
そのうち頑なに家族を守ろうとしてきた父の張り詰めていた糸がプツンと切れた。
父は仕事をしなくなり競輪・競馬・麻雀・・・ギャンブルにのめり込み店を母に任せて遊び人になった。
父は喧嘩は強かったが心は弱かったのかもしれない。
※男の強さは喧嘩の強さじゃない。
肩書きや権力がある事でもない。
例え嫌な事があっても守らなければいけない人(家族や愛する人)を最後まで守り抜く事が本当の強さだ。
【母の話】
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そんな父を好きになった母も事情があって産みの母と離れ離れになり、養女に迎えてくれた裕福だった養父が早く亡くなった事で家計が苦しくなり養母を支える為に母も中学を出てすぐ働いた。
でも、その養母も母が嫁いですぐに亡くなり母は帰る所もなくなってしまった。
辛い事があると養母の墓の前で一人で泣いていたそうだ。
※父と母の孤独で満たされない心がお互いを引き寄せたように思う。
同じような境遇で知り合った二人はお互いの中に自分の淋しさを映し出し、それをわかり合える相手だと思ったのだろう。
でも、父は自分勝手で母の事を思いやる愛を育てる事ができなかった。
【小学時代】
母は夜中の2時過ぎまで仕事をして朝6時には起きて私を学校に出してその後父の両親が経営していた寿司屋の手伝いに毎日行っていた。
昔ながらの家で嫁が夫の実家を手伝うのは当たり前だと言う考えだったので母は毎日4時間しか寝ないで20年以上一円も貰わずに父の両親に尽くした。
父との事や父の両親との事でも散々辛い思いをしたのだけれど私と弟を育てる為に泣き言も言わず一人で働いて私達姉弟を育ててくれた。
毎日寝不足でも必死に頑張って働く母の姿を見て育った私は、母が大変そうで可哀想で母に言いたい事、聞いて欲しい事があっても何も言えなかった。
小学生になっても父の暴力は続いていたので(母が私と弟を捨てて何処かに行ってしまったらどうしよう。)そんな事ばかり考えていた。
母の寿司屋は女が握る寿司と言うのが珍しくて地元で評判になり夜遅くまで営業していた事もあって母目当てのお客さんも多かった。
母はまだ30代で綺麗だったのでお客さんによく口説かれていた。
私はそれを陰で見ていたので母が好きな人でもできて私達を捨てて何処かに行ってしまうのではないかといつも心配だった。
両親の事を誰にも相談できない私は毎日夜空を見ては神様に頼んでいた。
「神様、お母さんが何処にも行きませんように!」
そんな不安定な気持ちで毎日を過ごしていた私に転機が訪れた。
それは一年生の運動会でぶっち切りの速さで一位になり、校内の記録会でも新記録を出し、市の体育祭でも一位になった。
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これには両親も大喜びで、祖父母、叔父、叔母、近所の人達・・みんな応援に来てくれた。
走っている時に聴こえるみんなの歓声と声援、
「○○○!頑張れ~」と父も母もみんな喜んでいた。
私が一位になるとみんな喜んで大騒ぎだった。
何より母が私の活躍を一番喜んでいた。
私は自分が走る事でみんなが喜んでいるのが嬉しくて仕方なかった。
生まれて初めて自分に自信を持てた瞬間だった。
『絶対に負けない!
絶対に1位しか取らない!」とその時心に決めた。
それから私は体育大会でもスポーツテストでも常に1位で誰にも負けなかった。
そんな私が六年生になった時、ある事件が起きた。(下記の記事をご覧下さい)
【中学~高校】
小六の事件ですっかり人間不信になった私だったが、中学に入ると父があるヤクザの組長に(自分が懲役に行っている間、組長代行として組を守ってくれ)と頼まれ父はとうとうヤクザの道に入ってしまった。
ヤクザになると聞いた母は家族の為にそれだけはやめて欲しいと頼んだが父はもう後には戻れなくなっていた。
その後何人も愛人を作り自分の店と子供(私と弟)の事は全部母に任せて好き勝手に生きていた父。
父の母に対する暴力は減ってはいたが、父はほとんど家に帰らなくなったので母は苦しみから逃れるようにお酒を覚えて店を閉めてから飲みに行くようになった。
私は13才、弟は5才。
益々家庭は崩壊していった。
酔っ払って朝方帰って来る母を見て何とも言えない気持ちになった。
母の辛さは痛いほどわかるがそんな母の姿を見たくなかった。
昔のように凛として強い母でいて欲しかった。
13~14才の私には理解できなかったが、母も女としての淋しさや悲しみがあり、お酒を飲みながら誰かと話す事で憂さ晴らしをしていたのかもしれない。
私は飲み歩くようになった母に幻滅し、
今まで大好きだった母が何処か遠くに行ってしまったようでとても淋しかった。
「お父さん、なんでヤクザになったの?
なんで家族の事を一番考えてくれなかったの?」
「お母さん、飲みになんて行かないで家にいて。昔のお母さんでいてよ。」
本当はそう言いたかった。
でも、元に戻る訳がないとわかっていた私は、やるせない思いをごまかす為に自分と同じような家庭環境の仲間達と遊び始めた。
中学1年生からタバコ、お酒・・
16才で暴走族、シンナー、喧嘩・・・。
世間には不良のレッテルを貼られ、とんでもなくワルに思われていたが、私にとってはそこは居場所がない者同士が肩を寄せ合う避難所のようだった。
※親だって普通の人間だから、疲れる時もイライラする時もある。
だから完璧な子育てなんかできなくていい。
でも、普通に家族の中で会話があれば余程の問題がない限り子供はグレたりしない。
子供が悪くなる原因のほとんどは家に居場所がないからだ。
子供にもっと関心を持って寄り添ってあげて欲しい。
それに気づかなければ負の連鎖がずっと続いてしまう。
【初恋と裏切り】
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17才の初恋。
DiscoのDJだった彼が、「そんな髪型と化粧やめて普通の格好した方が可愛いよ。」と言った。
暴走族に入ってアフロヘアにして、顔がわからないような濃いメークをしてイキがっていた私にまともな事を言ってくれた事が嬉しかった。
スポーツ、歌、ユーモアのセンス、誰もが好きになるような目立つ存在で面白い人間だった。
しかし、彼は女好きの浮気症、ギャンブル好き・・とんでもない男だった。
大して好きでもないのに女と見ればすぐに手を出してしまう。
私の友達、知り合い数十人、そしてまさかの親友まで・・・。
その頃の私は女は全て敵に思えた。
嫉妬深く本当に嫌な人間になってしまった。
何でそんな男を好きになってしまったのだろう?
まだ17才の私には全く男を見る目がなかったし、ずっと不良少女と言われて粋がっていた私は真面目な人と話をしても話が合わなかったので彼のように笑わせてくれる面白い男に惹かれてしまったのだ。
完全に間違った選択だったが、私は夢中になる何かを求めていた。
ありふれた恋愛ではなく生きている実感を味わえるような燃えるような恋愛をしたかったのだ。
ただ、その相手が悪過ぎた。
私は浮気をされる度に、他の誰にも取られたくないと言う気持ちが強くなり、性懲りも無く浮気を繰り返す彼を何とか懲らしめたいと思った。
この人が死んでくれたらもう苦しまなくてすむのに・・と、
一歩間違えたら阿部定になってもおかしくないほど私は病んでいた。
本当は彼がどうのこうのと言うよりも、
自分自身に腹が立っていた。
彼に踏み躙られ、傷つけられても傷つけられても、別れられない馬鹿な自分を一番許せなかった。
出会ってから5年も経ち、何も変わらない彼に愛想が尽き、馬鹿な自分にも愛想が尽きて自分から別れを告げた。
※親のせいにするつもりはないが、母が父に泣かされた姿を散々見てきた私の潜在意識の中には、男に裏切られる女のイメージしか入っていなかったのだろう。
実際に私の心はいつも不安で周りの状況に翻弄されて生きていたのだ。
私が自分が信じている通りの現実を自分で創っていた事に気づくのはそれからまだまだ先の事だった。
その頃は親友にまで裏切られて人間不信になっていた。
(男も女の友達ももう信じられない。)と心を閉じていた時期だった。
【結婚と父との別れ】
それから1年半後に前の夫と出会った。
もう恋愛はこりごりだと思っていたので、最初は恋愛感情はなかった。
彼はその頃母が経営していたスナックの常連客だった。
田舎の純朴さと気取らない所に好感を持ち、
色々と話すうちに仲良くなり2年位付き合って(この人なら優しいし何でも話せるし浮気したり暴力を振るう事はないだろう。)と結婚を決めた。
とにかく、平凡でも安心して暮らせる家庭を持ちたかった。
しかし、それから間もなく私の地獄の生活が始まったのだった。
ある日、突然父がいなくなった!
組長代行として長い間、組を守り前よりも基盤を築き組は大きくなっていたが、懲役から戻ってきた組長に根も歯もない言いがかりをつけられて父は自分の潔白を信じてもらおうと何度も話をしたが最後までわかってもらえずヤクザの世界に嫌気がさした父は足を洗う決心をした。
しかし、『今日で辞めさせて頂きます」「はい、わかりました。」と言う世界ではない。
全国に破門状が回り父は普通の世界で言う指名手配のような状況で放浪の旅に出たのだ。
父がいなくなった後はヤクザの組員が数人で私の家に押しかけて来て「〇〇の居場所は何処だ?」と連日脅しに来た。
私は本当に知らなかったが、
「娘が父親の居場所を知らない訳がないだろう!」
「本当の事を言わないと大変な事になるぞ」と何回も脅してきた。
「知っていても絶対に言わないけど、本当に知らない。
これ以上脅すなら今すぐ警察に電話して来てもらう。
脅迫罪で捕まってもいいの?」
と私も何回来ても脅しに乗らなかったので最終的にヤクザは諦めて私の所には来なくなった。
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そんな辛い時に頼りになる夫がいて家族で力を合わせて支えあえればいいが、結婚するまでは優しかった夫は結婚した途端に豹変していた。
釣った魚にエサはやらないと言う言葉の通りの展開だった。
言葉使いも態度も変わり、自分の思い通りにならないと大声を出し、物に当たり手も足も出す状態に変わった。
付き合っていた時の優しさは何だったのだろう?
私を支えて守ってくれると言っていた人物とは全くの別人だった。
何かあってもまともに相談したり話し合う事もできなかった。
私は何回か離婚しよう言ったが、夫は全く取り合わずそこで又大喧嘩になる。
夫は小さな会社を経営していたが、元々苦労知らずのボンボンで母親が何でもやっていたが、その母親ががんの末期で働けなくなり、それからはあっという間に会社が傾いていった。
何の根拠もなく「何とかなる。」と借金を増やしていく夫と喧嘩になり大声で怒鳴り合い、取っ組み合いの壮絶バトルが始まる。
その頃バブル全盛期だったので銀行は簡単にお金を貸した。
それが仇となり、手形が落とせなくなると毎月300万、400万・・・と夫は借り続けた。
銀行が貸さなくなると、カードローン、闇金融、ヤクザ・・・となってとうとう1億を超えてしまった。
私はそうなる前に何回も何十回も夫に「これ以上借金を増やさないで全て売れる物を処分して0からやり直そう」と伝えたが夫は全く聞く耳を持たなかった。
借金取りには朝から夜中まで追いかけられ、夫の暴力とも戦い、金策、がん末期の姑の介護、家事、育児…毎日が戦場だった。
夫は借金を増やすだけで後始末は全部私に押し付けて気に入らなければ大声出して騒ぐだけの弱い人間だった。
結婚してからストレスで私は過敏性腸症候群、不安神経症、不眠症、パニック障害・・・等の様々な症状に悩まされていた。
42キロの体重は36キロになり毎日フラフラしながらやっと生きていた。
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この状況が少しでも良くなればと、良いと思う事は何でも実践した。
心の汚れを取るにはトイレ清掃が良いと聞いて家のトイレはもちろん駅のトイレ清掃にも度々出かけた。
睡眠時間2時間でも毎日できる限りの事を精一杯続けた。
働いても働いてもお金は借金の返済に消えていく。
おかずを買うお金もなかった時はご飯に塩、ふりかけをかけて食べていた。
お米を買えなくなった時は具のない味噌汁と野菜だけ食べてしのいでいた。
そんなボロボロの状態の時にある方と出会った。
牧師さんの所に通いながら、何とか希望を捨てずに生きていた私だったが、夫が元ヤクザのアル中のとんでもない奴から1千万円を借りた事から、私の唯一の心安らぐ場所である牧師さんの所に行く時間もなくなり、更なる地獄の毎日が待っていた。
その男は前科14犯。
元ヤクザでアル中の暴力男で、とんでもない男だったが、偶然にも夫の経営している店舗の目の前の道路工事を夫婦で雇われてしていた。
なぜか、夫はその夫婦と親しくなり食事に一緒に行ったりしているうちにお金に困っている事を話してしまい、信じられない事にその男から一千万円を借りてしまった。
男は親の遺産が入って大金を持っていたらしいが、夫が見ず知らずのそんな男から一千万円も借りた事が信じられなかった。
どこまで馬鹿なのか…。
私は呆れ果てたが、もうどうにもならない。
借りた一千万円は他の返済で使ってしまった後だった。
借りた時は仏顔で貸したが取り立ては本性を出してきた。
毎月返済日になると入れ墨を全部出して一升瓶を持って店舗に居座る。
近所の人達は寄り付かなくなった。
1日でも遅れたら朝方から夜中まで拡声器で『金返せ!』と騒ぎまくる。
色々な飲食店に行って勝手に食べまくり、その店の責任者に
「俺が金を貸している人間が払いに来るから、そいつからもらってくれ!」
と夫の経営している店に電話が来る。
私はその飲食店に迷惑がかかるのでお金を掻き集めては届けていた。
そんな状況の中でも夫はいつも肝心な時に何処かに逃げていたので、私一人でほとんど対応していた。
毎日の嫌がらせに私は何処にも相談する事もできず、警察署に電話したが
「警察は民事は介入できないから借りたお金を返すしかない」と言われた。
直接警察署に相談に行ったがまともに相手にされなかった。
何か事件が起きてからでなければ警察は動いてくれない。
そこでは話にならないから「本署に行って相談する」と言ったらやっとその男の指紋や前科を調べ出した。
「何かあったら連絡して下さい」と言われたが私はそのまま連絡する事はなかった。
※借金を返そうと必死になって又借りる…その内に手がつけられなくなり自転車操業は永遠に続く。
借金を返す事もできない人間が借金をしまくり、多くの人に迷惑をかけてまで自分の会社を存続させたいと言うのは、世間体ばかり気にして自分で責任を取る事ができないただの意気地なしだと私は思う。
会社を経営している以上、思いがけないトラブルや失敗は誰にでもある。
その時に何を最優先にするか?
そこでその人間の器量が試される。
私は倒産しようが一文なしになろうが、夫にしっかりと現実を受け入れてもう一度初めからやり直す勇気を持って欲しかったのだが、その私の願いが届く事はなかった。
【夢の中に神様が現れた】
地獄のような毎日で1分足りとも心が休まる時間はなかった。
毎日頭が狂ってもおかしくない状況だったが何処にも逃げ場もなかった。
牧師さんの所にも行けなくなった私の唯一の救いはやはり神様に祈る事だった。
幼い頃から何故だかわからないが神様との繋がりを強く感じていた私は少し普通の人とは違う感覚があったようだ。
あまりの苦しさに疲れ果てた私は神様に問いかけた。
「こんなに苦しい毎日をどうして私は生きなければいけないのですか?
この苦しみの意味を教えて下さい!」と。
「この状況をどうする事もできない無力の私にどうか、生きる力を与えて下さい!」
「この逆境を乗り越える力を与えて下さい!」
「子供達をお守り下さい!」と朝も昼も夜も必死に祈り続けた。
その数日後、私は夢を見た。
私は雲に届くほど高い崖の縁に立っていた。
30〜40メートル離れた雲の上に白い髭を生やした仙人のような格好の人が立っている。
(神様だ!)私はそう感じた。
神様は「こちらに向かって歩いて来なさい。」
と言って手招きしている。
私は「そんなの無理です。空中を歩けません。」と答えた。
「大丈夫! 私を信じなさい。何も考えずに足を一歩前に出してごらん。」
私は怯えながらも(どうせ夢だから…)と夢の中で夢だと何故か理解していた。
そして半ばヤケクソで言われた通り崖から空中に一歩踏み出した。
(ん? 落ちない?… 空中を歩いてる!)
空中をゆっくり歩きながら何とか神様の所に辿り着いた。
私は夢の中でボロボロ泣いていた。
神様は私を抱きしめて「私を信じてよくここまで来たね。これからあなたは毎日ここに来る事になるんだよ。」と言った。
翌朝目を覚ました時に、神様の声や抱きしめられた感覚がリアルに残っていてとても夢とは思えない不思議な体験だった。
そしてその日も同じように苦しい1日が終わり、やっと眠りにつくと…。
私は昨日と同じ崖の上に立っていて神様は同じように手招きをしていたのだ。
(昨日も行けたんだから今日も行けるはず!)とと覚悟を決めて一歩を踏み出すと。
やはり落ちない。
私は嬉しくなって昨日より少しだけ早く神様の元に辿り着いた。
「私を信じて今日もよくここまで来たね。
明日も来るんだよ。」と言った。
私は(さすがに同じ夢を3回も見れないよ…)と思いながら「はい」と返事をした。
三日目の夜私は「今日も神様に会えますように」と真剣に祈った。
すると又同じように神様が夢に現れた。
次の日も、その又次の日も、同じ夢が続いた。
この数年間、苦しい事ばかりで笑う事もなかった私が夢の中で神様と笑っている…不思議な感覚だった。
これは本当に夢?
何故同じ夢を見続けるの?
信じられないけれど神様が夢で私を導き助けてくれている。
そう思い、毎晩夢を見る事だけが楽しみで床につくようになった。
毎日、神様に私に必要な言葉をもらい励まされる度に私は少しずつ生きる元気を取り戻していった。
『何があっても絶対に諦めない!』
その信じられないような体験は、
私の心に命の火を再び灯してくれた。
そしてその不思議な夢は驚くべき事に、
100日間も続いたのだった。
私の精神世界の探究はこの頃から始まった。
しかし、まだまだ私の試練は終わらなかった。
(後編に続く)