平賀源内と日本100名城 鑁阿寺
鑁阿寺
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鑁阿寺
北緯36度20分15.1秒 東経139度27分8.1秒座標:
北緯36度20分15.1秒 東経139度27分8.1秒山号金剛山(こんごうさん)院号仁王院(におういん)宗旨新義真言宗宗派真言宗豊山派 → 真言宗大日派寺格本山本尊大日如来創建年1196年(建久7年)開基鑁阿(足利義兼)正式名金剛山仁王院法華坊鑁阿寺別称大日様札所等(御朱印)関東八十八箇所第16番(大日如来)
聖観音
大黒天(足利七福神)文化財本堂(国宝)、鐘楼、経堂、金銅鑁字御正体ほか(国の重要文化財)
足利氏宅跡(国の史跡)
御霊屋、多宝塔、木造大日如来像、木造足利歴代将軍坐像ほか(県文化財)公式サイト中世武士の居館跡 足利一門の氏寺 大日尊 鑁阿寺法人番号3060005006612
鑁阿寺
(足利氏館)
鑁阿寺(ばんなじ)は、栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の本山である。「足利氏宅跡(鑁阿寺)」(あしかがしたくあと(ばんなじ))として国の史跡に指定されている。本堂は国宝に指定されている。日本100名城の一つ。
概要[編集]
寺号の詳名は「金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺(こんごうさん におういん ほっけぼう ばんなじ)」と称する。足利氏の氏寺。本尊は大日如来。
鑁阿寺はもともとは足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている。
歴史・沿革[編集]
文化財[編集]
国宝[編集]
本堂 - 入母屋造、本瓦葺き。桁行(間口)5間、梁間(奥行)5間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を指す)。正安元年(1299年)の建立だが、応永14年から永享4年(1407 - 1432年)に大規模な改造が行われ、この時に柱をすべて入れ替え、正面に向拝を付した。平面構成は前方2間分を外陣、後方3間分を内陣及び脇陣とする密教仏堂の形式だが、建築様式は禅宗様を基調とする。組物を詰組とし、柱に粽(ちまき)を設け、扉を桟唐戸、壁を竪板壁とする点などは禅宗様の要素だが、組入天井、板敷の床など和様の要素もある。密教寺院における禅宗様仏堂の初期の例として、また関東地方における禅宗様の古例として貴重である。平成25年(2013年)に国宝指定[4]。
重要文化財(国指定)[編集]
金銅鑁字御正体(こんどう ばんじ みしょうたい)
青磁浮牡丹香炉1口、青磁浮牡丹花瓶2口
仮名法華経 巻第一に元徳二年(1330年)の奥書がある
鑁阿寺文書 36巻、8冊、7幅(615通)[5]
栃木県指定有形文化財[編集]
御霊屋(栃木県指定有形文化財(建造物))
多宝塔(栃木県指定有形文化財(建造物))
太鼓橋(栃木県指定有形文化財(建造物))
東門・西門(栃木県指定有形文化財(建造物))
山門(仁王門)(栃木県指定有形文化財(建造物))
木造大日如来像 - 室町時代(栃木県指定有形文化財(彫刻))
木造足利歴代将軍坐像(栃木県指定有形文化財(彫刻))
木造不動明王坐像(栃木県指定有形文化財(彫刻))
史跡(国指定)[編集]
足利氏宅跡
現地情報[編集]
所在地[編集]
栃木県足利市家富町2220
交通アクセス[編集]
参考文献[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
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^ 平成25年8月7日文部科学省告示第128号
^ “栃木「鑁阿寺本堂」国宝指定へ”. NHKニュース (日本放送協会). (2013年5月17日). オリジナルの2013年5月19日時点におけるアーカイブ。 2013年5月19日閲覧。
^ “鑁阿寺が国宝に正式決定(2013年8月8日 朝刊)”. 下野新聞社. 2013年8月8日閲覧。
^ 『月刊文化財』598号(第一法規、2013)、pp.4 – 8, 60
^ 文化庁公式サイトの「国指定文化財等データベース」に「35巻、8冊、8幅」とあるのは誤りで、「36巻、8冊、7幅」が正当(昭和61年6月6日文部省告示第90号で員数変更)。
^ 鑁阿寺の宝物 足利市教育委員会 2004
外部リンク[編集]
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